表参道バンブーに行って来ました。
2012年2月2日(木)
1月10日(火)に、東京都渋谷区神宮前にある表参道bamboo(バンブー)に行って来ました。
表参道bambooは、一戸建ての洋館(bamboo.co.jp)の中にあるレストランです。
地下鉄明治神宮前駅から歩く場合は、アクセスマップ(bamboo.co.jp)にあるように、平禄寿司とポール・スチュアートが目印になります。
ポール・スチュアート 青山店(paulstuart.jp)のところで右折し、数10メートル行くと、右側に表参道bambooが見えます。
1階入口から階段を上がり、2階がレストランです。
私はランチタイムに訪れましたが、食事は摂らず、ケーキセットを注文しました。
カフェだけの利用も可です。
ケーキ1個と紅茶のセットが600円で、ケーキ3個とコーヒーのセットが1,200円です。
紅茶は、ティーポットで出されるわけではありませんし、コーヒーのお代わりも無しです。
ソファー席が空いていたので、ゆったりと過ごすことが出来ました。
但し、もう一人は、ソファーではなく椅子席になります。
合計1,800円を、クレジットカードで支払いました。
今日のブログは、ここまでです。
1月10日(火)に、東京都渋谷区神宮前にある表参道bamboo(バンブー)に行って来ました。
表参道bambooは、一戸建ての洋館(bamboo.co.jp)の中にあるレストランです。
地下鉄明治神宮前駅から歩く場合は、アクセスマップ(bamboo.co.jp)にあるように、平禄寿司とポール・スチュアートが目印になります。
ポール・スチュアート 青山店(paulstuart.jp)のところで右折し、数10メートル行くと、右側に表参道bambooが見えます。
1階入口から階段を上がり、2階がレストランです。
私はランチタイムに訪れましたが、食事は摂らず、ケーキセットを注文しました。
カフェだけの利用も可です。
ケーキ1個と紅茶のセットが600円で、ケーキ3個とコーヒーのセットが1,200円です。
紅茶は、ティーポットで出されるわけではありませんし、コーヒーのお代わりも無しです。
ソファー席が空いていたので、ゆったりと過ごすことが出来ました。
但し、もう一人は、ソファーではなく椅子席になります。
合計1,800円を、クレジットカードで支払いました。
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2012年1月のページ別アクセスランキング
2012年2月1日(水)
1月1日から31日までの集計結果が出ましたので、ページ別アクセスランキングを発表します。
第1位 2011年8月16日(火) セックス時の女性のよがり声は、真実か?(lorodesu.exblog.jp)
第2位 2011年9月11日(日) ヌードラグビーに参加する美人女子大生(lorodesu.exblog.jp)
第3位 2010年12月15日(水) ジャン=レオン・ジェローム『ローマの奴隷市場』(lorodesu.exblog.jp)
第4位 2011年1月3日(月) フォンテーヌブロー派『ガブリエル・デストレとその妹』(lorodesu.exblog.jp)
第5位 2010年6月16日 ビザンティン的な受胎告知 シモーネ・マルティーニ『受胎告知』(lorodesu.exblog.jp)
人気記事は毎月、同じような結果になっていますが、1月は『受胎告知』が5位に入りましたね。
アクセスしてくれた皆さん、ありがとうございました。
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第1位 2011年8月16日(火) セックス時の女性のよがり声は、真実か?(lorodesu.exblog.jp)
第2位 2011年9月11日(日) ヌードラグビーに参加する美人女子大生(lorodesu.exblog.jp)
第3位 2010年12月15日(水) ジャン=レオン・ジェローム『ローマの奴隷市場』(lorodesu.exblog.jp)
第4位 2011年1月3日(月) フォンテーヌブロー派『ガブリエル・デストレとその妹』(lorodesu.exblog.jp)
第5位 2010年6月16日 ビザンティン的な受胎告知 シモーネ・マルティーニ『受胎告知』(lorodesu.exblog.jp)
人気記事は毎月、同じような結果になっていますが、1月は『受胎告知』が5位に入りましたね。
アクセスしてくれた皆さん、ありがとうございました。
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ペネロペ主演映画『ハモン・ハモン』を見ました。
2012年1月31日(火)
目次
1. ペネロペの乳首を舐め回す
2. 性欲があるのは罪か?
1. ペネロペの乳首を舐め回す
BS-TBSでペネロペ・クルスが主演するスペイン映画を放送していたので、録画して見ました(bs-tbs.co.jp)。
題名の『ハモン・ハモン』は、スペイン語で『Jamón, jamón』と綴ります。
jamónは、ハムという意味ですので、直訳すると、『ハム、ハム』というのが映画の題名ということになります。
なお、ハムエッグは、スペイン語で、huevos con jamón、と言います。
さて、ビガス・ルナ監督(1946-)は、なぜこんな不思議な題名を作品につけたのでしょうか?
映画の冒頭では、男性たちが下着が着用し、股間のモッコリが強調される場面が続きます。
この映画では、人間の持つ肉欲を主題にするという監督の意図が、明確に示されているわけですね。
この作品の公開は、スペインでは1992年ですので、主役シルビアを演じたペネロペ(1974-)は、まだ18歳です。
ペネロペの体つきを見ると、まだ幼さが感じられますね。
それでも、ペネロペは役柄を全うし、露になった乳首を恋人ホセルイス役の男優に、ベロベロと舐められ続ける場面が収録されています。
後掲するアマゾンの画像は、その場面です。
2. 性欲があるのは罪か?
登場人物たちは、ことごとく肉欲に溺れ、人生の進路を見誤ります。
主役のシルビアは、想定外の妊娠をしますし、シルビアの恋人ホセルイスの母コンチータは、夫のある身でありながら、若い男性ラウルとの情事に溺れます。
このラウルを演じているのが、現在、ペネロペの夫であるハビエル・バルデムです。
ペネロペとハビエルが結婚したのは2010年のことですが、この頃から俳優同士として知り合いだったわけですね。
映画は、全編スペイン語で作られ、BS-TBSは、日本語字幕をつけていました。
ajo(ニンニク)などの食材に関するスペイン語が、映画の中で結構出て来るので、勉強になりますよ。
この作品は、第49回ヴェネツィア国際映画祭において、銀獅子賞を受賞しています。
銀獅子賞というのは、平たく言うと、監督賞ですね。
この作品が、ここまで高い評価を得た理由は、繰り返されるセックス描写ではなく、人間の肉欲に対する痛烈な風刺に求められると思います。
フランスの作家、モーパッサン(1850-1893)が、『脂肪のかたまり』という短編小説を書いているのですが、この『ハモン・ハモン』を見ていたら、その小説のことを思い起こしました。

結局、人間の大半は、豚と変わらないような低次元で生きている、ということなのかしらね?
肉欲や物欲はあっても良いと思うのですが、問題は節度なんでしょうね。
なかなか、考えさせられる映画でした。
ただ、セックスの場面が多いので、大人向けですね。
それから、ハムはセックスに効くというのが監督の持論のようです。
![ハモン・ハモン デジタル・ニュー・マスター版 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21YNFA91FVL._SL160_.jpg)
今日のブログは、ここまでです。
目次
1. ペネロペの乳首を舐め回す
2. 性欲があるのは罪か?
1. ペネロペの乳首を舐め回す
BS-TBSでペネロペ・クルスが主演するスペイン映画を放送していたので、録画して見ました(bs-tbs.co.jp)。
題名の『ハモン・ハモン』は、スペイン語で『Jamón, jamón』と綴ります。
jamónは、ハムという意味ですので、直訳すると、『ハム、ハム』というのが映画の題名ということになります。
なお、ハムエッグは、スペイン語で、huevos con jamón、と言います。
さて、ビガス・ルナ監督(1946-)は、なぜこんな不思議な題名を作品につけたのでしょうか?
映画の冒頭では、男性たちが下着が着用し、股間のモッコリが強調される場面が続きます。
この映画では、人間の持つ肉欲を主題にするという監督の意図が、明確に示されているわけですね。
この作品の公開は、スペインでは1992年ですので、主役シルビアを演じたペネロペ(1974-)は、まだ18歳です。
ペネロペの体つきを見ると、まだ幼さが感じられますね。
それでも、ペネロペは役柄を全うし、露になった乳首を恋人ホセルイス役の男優に、ベロベロと舐められ続ける場面が収録されています。
後掲するアマゾンの画像は、その場面です。
2. 性欲があるのは罪か?
登場人物たちは、ことごとく肉欲に溺れ、人生の進路を見誤ります。
主役のシルビアは、想定外の妊娠をしますし、シルビアの恋人ホセルイスの母コンチータは、夫のある身でありながら、若い男性ラウルとの情事に溺れます。
このラウルを演じているのが、現在、ペネロペの夫であるハビエル・バルデムです。
ペネロペとハビエルが結婚したのは2010年のことですが、この頃から俳優同士として知り合いだったわけですね。
映画は、全編スペイン語で作られ、BS-TBSは、日本語字幕をつけていました。
ajo(ニンニク)などの食材に関するスペイン語が、映画の中で結構出て来るので、勉強になりますよ。
この作品は、第49回ヴェネツィア国際映画祭において、銀獅子賞を受賞しています。
銀獅子賞というのは、平たく言うと、監督賞ですね。
この作品が、ここまで高い評価を得た理由は、繰り返されるセックス描写ではなく、人間の肉欲に対する痛烈な風刺に求められると思います。
フランスの作家、モーパッサン(1850-1893)が、『脂肪のかたまり』という短編小説を書いているのですが、この『ハモン・ハモン』を見ていたら、その小説のことを思い起こしました。

結局、人間の大半は、豚と変わらないような低次元で生きている、ということなのかしらね?
肉欲や物欲はあっても良いと思うのですが、問題は節度なんでしょうね。
なかなか、考えさせられる映画でした。
ただ、セックスの場面が多いので、大人向けですね。
それから、ハムはセックスに効くというのが監督の持論のようです。
![ハモン・ハモン デジタル・ニュー・マスター版 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21YNFA91FVL._SL160_.jpg)
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Alexey Tarasovich Markov『アキレスにヘクトルの遺体を返してもらうよう懇願するプリアモス』
2012年1月30日(月)
目次
1. トロイ王プリアモス
2. 原題
今回取り上げる作品は、Alexey Tarasovich Markov作『アキレスにヘクトルの遺体を返してもらうよう懇願するプリアモス upload.wikimedia.org』です。
1. トロイ王プリアモス
ロシアの画家Alexey Tarasovich Markov(1802-1878)が描いているのは、ヘクトルの遺体を引き取るためにアキレスの陣屋を訪れたプリアモスです。
中央に座って、赤い布を右肩にかけているのがアキレスです。
アキレスの向かって左で、跪(ひざまず)いている老人は、トロイ最後の王プリアモスです。
日中、アキレスはヘクトルの遺体を馬車に括(くく)りつけて、トロイの城壁外を引きずり回しました。
その様子をトロイ宮廷から見たヘクトルの父プリアモスは、その夜にアキレスの陣中を訪れます。
そしてこれ以上、死んだ息子ヘクトルに辱めを与えないようにして欲しいと懇願しました。
アキレスは、ヘクトルによってパトロクロスを殺された恨みを、十分に晴らしたと考えました。
そこで、敵国の王プリアモスの頼みを聞き入れ、ヘクトルの遺体をトロイ側に引き渡したのです。
2. 原題
Alexey Tarasovich Markov(Алексей Тарасович Марков)が描いた『アキレスにヘクトルの遺体を返してもらうよう懇願するプリアモス』は、英語では『Priam Begging the Body of Hector from Achilles』と言います。
この作品は、エルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
目次
1. トロイ王プリアモス
2. 原題
今回取り上げる作品は、Alexey Tarasovich Markov作『アキレスにヘクトルの遺体を返してもらうよう懇願するプリアモス upload.wikimedia.org』です。
1. トロイ王プリアモス
ロシアの画家Alexey Tarasovich Markov(1802-1878)が描いているのは、ヘクトルの遺体を引き取るためにアキレスの陣屋を訪れたプリアモスです。
中央に座って、赤い布を右肩にかけているのがアキレスです。
アキレスの向かって左で、跪(ひざまず)いている老人は、トロイ最後の王プリアモスです。
日中、アキレスはヘクトルの遺体を馬車に括(くく)りつけて、トロイの城壁外を引きずり回しました。
その様子をトロイ宮廷から見たヘクトルの父プリアモスは、その夜にアキレスの陣中を訪れます。
そしてこれ以上、死んだ息子ヘクトルに辱めを与えないようにして欲しいと懇願しました。
アキレスは、ヘクトルによってパトロクロスを殺された恨みを、十分に晴らしたと考えました。
そこで、敵国の王プリアモスの頼みを聞き入れ、ヘクトルの遺体をトロイ側に引き渡したのです。
2. 原題
Alexey Tarasovich Markov(Алексей Тарасович Марков)が描いた『アキレスにヘクトルの遺体を返してもらうよう懇願するプリアモス』は、英語では『Priam Begging the Body of Hector from Achilles』と言います。
この作品は、エルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
赤坂Bizタワーのヴィラモウラに行って来ました。
2012年1月29日(日)
1月8日(日)に、東京都港区赤坂にある赤坂Bizタワーのヴィラモウラに行って来ました(mi-mo.jp)。
赤坂Bizタワーは、赤坂サカスと呼ばれる地域にある建物で、低層階に飲食店などが入っています。
ヴィラモウラ(VILAMOURA)は、ポルトガル料理のレストランで、1階に入っています。
私たちは、“ホリデー”ヴィラモウラ ランチの「シェフのおすすめ 本日のメインディッシュ」を注文しました(heart-link-c.co.jp)。
メインディッシュは、カジキのソテーでした。
カジキだけではなく、アサリの蒸し焼きが添えられていました。
カジキのソテーは味もよく、柔らかくて食べやすかったのですが、アサリは固く縮んでいて、貝殻から肉を引き剥がすのに一苦労でした。
“ホリデー”ヴィラモウラ ランチの「シェフのおすすめ 本日のメインディッシュ」は、一人分が1,400円です。
別途、追加注文した「ポルトガルスィーツ 3種盛り合わせ」は、1,000円でした。
総額3,800円を、クレジットカードで支払いました。
なお、赤坂Bizタワーのトイレは、テナント店舗利用の有無に関わらず、誰でも利用できるのですが、清潔で広いトイレでした。
洗面所の水は、温水になっていて、液体石鹸も備え付けてありました。
今日のブログは、ここまでです。
1月8日(日)に、東京都港区赤坂にある赤坂Bizタワーのヴィラモウラに行って来ました(mi-mo.jp)。
赤坂Bizタワーは、赤坂サカスと呼ばれる地域にある建物で、低層階に飲食店などが入っています。
ヴィラモウラ(VILAMOURA)は、ポルトガル料理のレストランで、1階に入っています。
私たちは、“ホリデー”ヴィラモウラ ランチの「シェフのおすすめ 本日のメインディッシュ」を注文しました(heart-link-c.co.jp)。
メインディッシュは、カジキのソテーでした。
カジキだけではなく、アサリの蒸し焼きが添えられていました。
カジキのソテーは味もよく、柔らかくて食べやすかったのですが、アサリは固く縮んでいて、貝殻から肉を引き剥がすのに一苦労でした。
“ホリデー”ヴィラモウラ ランチの「シェフのおすすめ 本日のメインディッシュ」は、一人分が1,400円です。
別途、追加注文した「ポルトガルスィーツ 3種盛り合わせ」は、1,000円でした。
総額3,800円を、クレジットカードで支払いました。
なお、赤坂Bizタワーのトイレは、テナント店舗利用の有無に関わらず、誰でも利用できるのですが、清潔で広いトイレでした。
洗面所の水は、温水になっていて、液体石鹸も備え付けてありました。
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Franz Matsch『トロイの門前でヘクトルの遺体を引きずり回すアキレス』
2012年1月28日(土)
目次
1. ヘクトルとの戦い
2. ヘクトルの遺体
3. 原題
今回取り上げる作品は、Franz Matsch作『トロイの門前でヘクトルの遺体を引きずり回すアキレス upload.wikimedia.org』です。
1. ヘクトルとの戦い
戦場に戻る決意をしたアキレスは、総大将アガメムノンの元へと向かいました。
そして、お互いの蟠(わだかま)りを解消し、力を合わせてトロイを倒すことを誓い合いました。
アキレスを加えたギリシア軍は、俄然勢力を盛り返します。
トロイ軍は、城壁の中に撤退を余儀なくされます。
ヘクトルは内心ではアキレスを恐れていましたが、将軍という立場上、城壁の外でアキレスを迎え撃ちました。
アキレスとヘクトルの戦いは、力に勝るアキレスの勝利で終わりました。
2. ヘクトルの遺体
アキレスは、盟友パトロクロスを殺害したヘクトルの遺体を、馬車で引いて晒(さら)すことにしました。
オーストリアの画家Franz Matsch(1861-1942)は、アキレスがトロイの城壁前でヘクトルの遺体を馬車で引きずり回している場面を描きました。
アキレスはこのような形で、パトロクロスを失った恨みを晴らしたのです。
ギリシア軍の陣地へ戻る際にも、アキレスはヘクトルの遺体を馬車に括(くく)りつけたまま、引きずって行きました。
3. 原題
Franz Matschが描いた『トロイの門前でヘクトルの遺体を引きずり回すアキレス』は、英語では『Achilles dragging Hector's lifeless body in front of the Gates of Troy』と言います。
この作品は、ギリシア領最西部に位置するケルキラ島にある宮殿Achilleion(Corfu)で見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
目次
1. ヘクトルとの戦い
2. ヘクトルの遺体
3. 原題
今回取り上げる作品は、Franz Matsch作『トロイの門前でヘクトルの遺体を引きずり回すアキレス upload.wikimedia.org』です。
1. ヘクトルとの戦い
戦場に戻る決意をしたアキレスは、総大将アガメムノンの元へと向かいました。
そして、お互いの蟠(わだかま)りを解消し、力を合わせてトロイを倒すことを誓い合いました。
アキレスを加えたギリシア軍は、俄然勢力を盛り返します。
トロイ軍は、城壁の中に撤退を余儀なくされます。
ヘクトルは内心ではアキレスを恐れていましたが、将軍という立場上、城壁の外でアキレスを迎え撃ちました。
アキレスとヘクトルの戦いは、力に勝るアキレスの勝利で終わりました。
2. ヘクトルの遺体
アキレスは、盟友パトロクロスを殺害したヘクトルの遺体を、馬車で引いて晒(さら)すことにしました。
オーストリアの画家Franz Matsch(1861-1942)は、アキレスがトロイの城壁前でヘクトルの遺体を馬車で引きずり回している場面を描きました。
アキレスはこのような形で、パトロクロスを失った恨みを晴らしたのです。
ギリシア軍の陣地へ戻る際にも、アキレスはヘクトルの遺体を馬車に括(くく)りつけたまま、引きずって行きました。
3. 原題
Franz Matschが描いた『トロイの門前でヘクトルの遺体を引きずり回すアキレス』は、英語では『Achilles dragging Hector's lifeless body in front of the Gates of Troy』と言います。
この作品は、ギリシア領最西部に位置するケルキラ島にある宮殿Achilleion(Corfu)で見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
TBS放送センター内のTBS BooBo Caféに行って来ました。
2012年1月27日(金)
1月8日(日)に、東京都港区赤坂にあるTBS BooBo Caféに行って来ました(tbs-tm.com)。
BooBo Café(ブーブ・カフェ)は、TBSテレビ(tbs.co.jp)が入っている建物の1階にあります。
1階全体を、総称的に「TBSプラザ」と呼ぶらしく、カフェの領収書には、「TBSプラザ」の名前が入っています。
赤坂地区は、日曜日が休みというカフェが多いので、お茶を飲んでくつろぐ店舗を探すのも一苦労です。
BooBo Caféは、地下鉄赤坂駅に近く、毎日やっている喫茶店兼レストランです。
開店直後の11時過ぎに行ったため、それほどカフェに客はいませんでしたが、カフェの前にあるTBSグッズ売り場には、結構、人がいました。
私は、メニュー(tbs-tm.com)の中で気になったベトナム式コーヒーのホットを注文しました。
コーヒーカップの底に練乳が敷いてあり、その上からコーヒーが注がれて給仕されます。
それを自分でスプーンでかき混ぜて飲むのが、「ベトナム式」らしいです。
予想していた以上に美味しく、注文して正解でした。
ベトナム式コーヒーは、単品で480円です。
ミニどら焼きセット・ドリンク付きは、580円です。
安いですね。
リンクしたメニューの写真にあるように、ミニどら焼きは2つあり、1つは抹茶味のあんこが挟んでありました。
私は、どら焼きは食べていませんけどね。
2人分の1,060円を、現金で支払いました。
今日のブログは、ここまでです。
1月8日(日)に、東京都港区赤坂にあるTBS BooBo Caféに行って来ました(tbs-tm.com)。
BooBo Café(ブーブ・カフェ)は、TBSテレビ(tbs.co.jp)が入っている建物の1階にあります。
1階全体を、総称的に「TBSプラザ」と呼ぶらしく、カフェの領収書には、「TBSプラザ」の名前が入っています。
赤坂地区は、日曜日が休みというカフェが多いので、お茶を飲んでくつろぐ店舗を探すのも一苦労です。
BooBo Caféは、地下鉄赤坂駅に近く、毎日やっている喫茶店兼レストランです。
開店直後の11時過ぎに行ったため、それほどカフェに客はいませんでしたが、カフェの前にあるTBSグッズ売り場には、結構、人がいました。
私は、メニュー(tbs-tm.com)の中で気になったベトナム式コーヒーのホットを注文しました。
コーヒーカップの底に練乳が敷いてあり、その上からコーヒーが注がれて給仕されます。
それを自分でスプーンでかき混ぜて飲むのが、「ベトナム式」らしいです。
予想していた以上に美味しく、注文して正解でした。
ベトナム式コーヒーは、単品で480円です。
ミニどら焼きセット・ドリンク付きは、580円です。
安いですね。
リンクしたメニューの写真にあるように、ミニどら焼きは2つあり、1つは抹茶味のあんこが挟んでありました。
私は、どら焼きは食べていませんけどね。
2人分の1,060円を、現金で支払いました。
今日のブログは、ここまでです。
Joseph-Marie Vien『ヘクトルとアンドロマケの別れ』
2012年1月26日(木)
目次
1. トロイ王子ヘクトル
2. 原題
今回取り上げる作品は、Joseph-Marie Vien作『ヘクトルとアンドロマケの別れ cartelen.louvre.fr』です。
1. トロイ王子ヘクトル
フランスの画家Joseph-Marie Vien(1716-1809)が描いているのは、ヘクトルが戦いに赴く前に妻子に別れを告げている場面です。
中央で、左手に長槍を持ち赤子の顔を見ているのがヘクトルです。
その向かって左で、立って右腕を上げている女性がヘクトルの妻アンドロマケです。
ヘクトルとアンドロマケの間で、侍女が跪(ひざまず)いて持ち上げているのは、ヘクトル夫妻の息子アステュアナクスです。
ヘクトルはこの後、アキレスとの戦いに臨むことになります。
これが妻子との、今生(こんじょう)の別れとなってしまいました。
2. 原題
Joseph-Marie Vienが描いた『ヘクトルとアンドロマケの別れ』は、フランス語では『Les adieux d'Hector et d'Andromaque 』と言います。
この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre cartelen.louvre.fr)で見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
目次
1. トロイ王子ヘクトル
2. 原題
今回取り上げる作品は、Joseph-Marie Vien作『ヘクトルとアンドロマケの別れ cartelen.louvre.fr』です。
1. トロイ王子ヘクトル
フランスの画家Joseph-Marie Vien(1716-1809)が描いているのは、ヘクトルが戦いに赴く前に妻子に別れを告げている場面です。
中央で、左手に長槍を持ち赤子の顔を見ているのがヘクトルです。
その向かって左で、立って右腕を上げている女性がヘクトルの妻アンドロマケです。
ヘクトルとアンドロマケの間で、侍女が跪(ひざまず)いて持ち上げているのは、ヘクトル夫妻の息子アステュアナクスです。
ヘクトルはこの後、アキレスとの戦いに臨むことになります。
これが妻子との、今生(こんじょう)の別れとなってしまいました。
2. 原題
Joseph-Marie Vienが描いた『ヘクトルとアンドロマケの別れ』は、フランス語では『Les adieux d'Hector et d'Andromaque 』と言います。
この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre cartelen.louvre.fr)で見ることが出来ます。
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ミキモトホール「貴婦人を彩った扇の美」展に行って来ました。
2012年1月25日(水)
1月5日(木)に、東京都中央区銀座にある、ミキモトホール「貴婦人を彩った扇の美」展に行って来ました(mikimoto.com)。
ミキモトホールは、ミキモト本店(mikimoto.com)の6階にあります。
今回の無料展では、18世紀から20世紀初頭に、主にフランスで作られた扇約40点が展示されています。
「パリスの審判」などのギリシア神話の場面が描かれている扇や、美しいキジの羽が用いられた扇などが展示されていました。
扇の要の部分を象牙で拵えたものもあり、相当高価なものではないかと思われる一品もありました。
この企画展は、元々2011年3月に予定されていたものですが(mikimoto.com)、震災の影響で延期となり、今回、年末年始にかけての開催となったものです。
展示会の会期は、1月15日(日)までです。
今日のブログは、ここまでです。
1月5日(木)に、東京都中央区銀座にある、ミキモトホール「貴婦人を彩った扇の美」展に行って来ました(mikimoto.com)。
ミキモトホールは、ミキモト本店(mikimoto.com)の6階にあります。
今回の無料展では、18世紀から20世紀初頭に、主にフランスで作られた扇約40点が展示されています。
「パリスの審判」などのギリシア神話の場面が描かれている扇や、美しいキジの羽が用いられた扇などが展示されていました。
扇の要の部分を象牙で拵えたものもあり、相当高価なものではないかと思われる一品もありました。
この企画展は、元々2011年3月に予定されていたものですが(mikimoto.com)、震災の影響で延期となり、今回、年末年始にかけての開催となったものです。
展示会の会期は、1月15日(日)までです。
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ジュリオ・ロマーノ『アキレスに武具を与えるテティス』
2012年1月24日(火)
目次
1. 武具の新調
2. 原題
今回取り上げる作品は、ジュリオ・ロマーノ作『アキレスに武具を与えるテティス upload.wikimedia.org』です。
1. 武具の新調
パトロクロスに貸したアキレスの武具は、ヘクトルに奪われてしまいました。
そこで、アキレスは母テティスに、新しい武具を調達するよう依頼します。
テティスはヘパイストスの鍛冶場へ行き、鎧兜など一式を新調してもらいました。
イタリアの画家ジュリオ・ロマーノ(1499頃-1546)が描いているのは、テティスが出来上がったばかりの武具をアキレスに与えている場面です。
準備が整ったアキレスは、パトロクロスの仇を討つために、戦場へと出掛けて行きます。
2. 原題
ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)が描いた『アキレスに武具を与えるテティス』は、英語では『Thetis Giving Achilles His Arms』と言います。
この作品は、イタリア北部の街マントヴァ(Mantova)にあるPalazzo Ducaleで見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
目次
1. 武具の新調
2. 原題
今回取り上げる作品は、ジュリオ・ロマーノ作『アキレスに武具を与えるテティス upload.wikimedia.org』です。
1. 武具の新調
パトロクロスに貸したアキレスの武具は、ヘクトルに奪われてしまいました。
そこで、アキレスは母テティスに、新しい武具を調達するよう依頼します。
テティスはヘパイストスの鍛冶場へ行き、鎧兜など一式を新調してもらいました。
イタリアの画家ジュリオ・ロマーノ(1499頃-1546)が描いているのは、テティスが出来上がったばかりの武具をアキレスに与えている場面です。
準備が整ったアキレスは、パトロクロスの仇を討つために、戦場へと出掛けて行きます。
2. 原題
ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)が描いた『アキレスに武具を与えるテティス』は、英語では『Thetis Giving Achilles His Arms』と言います。
この作品は、イタリア北部の街マントヴァ(Mantova)にあるPalazzo Ducaleで見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
銀座三越 ハロッズ・ティールームへ行って来ました。
2012年1月23日(月)
1月5日(木)に、東京都中央区銀座にある銀座三越の4階、ハロッズ・ティールームへ行って来ました。
店舗名は、正式には、ハロッズ・ザ・プランテーションルームス(Harrods THE PLANTATION ROOMS)と言います(mitsukoshi.co.jp)。
ハロッズは、ロンドンにある高級百貨店ですね。
私は大学3年の春休みに、リクルート・インターナショナルが主催する大学生用のパックツアーに参加して、ヨーロッパ各国を周遊したのですが、ロンドンが旅程の最初に入っており、その時に、ハロッズデパートに行きました。
ロンドンは、私が初めて訪れた異国の街なのです。
ブラっと入ったハロッズで、確か紳士物のベルトか何かを買ったのですが、正確には覚えていませんし、その商品はもう手元にはありません。
そのロンドンの老舗デパートの、ハロッズの名を冠したカフェが、銀座三越に入っています。
私たちは、ケーキセットBとCを注文し、飲み物は給仕の女性から紅茶の14番を勧められたので、それにしました。
ハロッズの公式サイト(harrods.com)には、No.14は載っていなくて、No.16やNo.42が載っています。
ポットの中に茶葉(loose tea)が入っていて、回転式の茶こし器(revolving tea strainer)がティー・カップに添えられていました。
この回転式茶こし器は扱いやすく、見た目にも美しいものでした。
ハロッズ公式サイトの販売(harrods.com)だと、回転式の茶こし器(revolving tea strainer)は、£24.95と書いてありますので、1ポンド119円で換算すると、2,969円ですね。
この店舗は、完全禁煙です。
奥の方に、ゆったりと座れる席があり、通路に面している席もあります。
ケーキセット2つで合計2,835円を、私はクレジットカードで支払いました。
伝票への署名は、不要だと言われました。
この程度の金額であれば、署名省略の方が便利ですね。
今日のブログは、ここまでです。
1月5日(木)に、東京都中央区銀座にある銀座三越の4階、ハロッズ・ティールームへ行って来ました。
店舗名は、正式には、ハロッズ・ザ・プランテーションルームス(Harrods THE PLANTATION ROOMS)と言います(mitsukoshi.co.jp)。
ハロッズは、ロンドンにある高級百貨店ですね。
私は大学3年の春休みに、リクルート・インターナショナルが主催する大学生用のパックツアーに参加して、ヨーロッパ各国を周遊したのですが、ロンドンが旅程の最初に入っており、その時に、ハロッズデパートに行きました。
ロンドンは、私が初めて訪れた異国の街なのです。
ブラっと入ったハロッズで、確か紳士物のベルトか何かを買ったのですが、正確には覚えていませんし、その商品はもう手元にはありません。
そのロンドンの老舗デパートの、ハロッズの名を冠したカフェが、銀座三越に入っています。
私たちは、ケーキセットBとCを注文し、飲み物は給仕の女性から紅茶の14番を勧められたので、それにしました。
ハロッズの公式サイト(harrods.com)には、No.14は載っていなくて、No.16やNo.42が載っています。
ポットの中に茶葉(loose tea)が入っていて、回転式の茶こし器(revolving tea strainer)がティー・カップに添えられていました。
この回転式茶こし器は扱いやすく、見た目にも美しいものでした。
ハロッズ公式サイトの販売(harrods.com)だと、回転式の茶こし器(revolving tea strainer)は、£24.95と書いてありますので、1ポンド119円で換算すると、2,969円ですね。
この店舗は、完全禁煙です。
奥の方に、ゆったりと座れる席があり、通路に面している席もあります。
ケーキセット2つで合計2,835円を、私はクレジットカードで支払いました。
伝票への署名は、不要だと言われました。
この程度の金額であれば、署名省略の方が便利ですね。
今日のブログは、ここまでです。
Nikolai Ge『アキレスとパトロクロスの遺体』
2012年1月22日(日)
目次
1. 盟友パトロクロスの死
2. 原題
今回取り上げる作品は、Nikolai Ge作『アキレスとパトロクロスの遺体 upload.wikimedia.org』です。
1. 盟友パトロクロスの死
アキレスの盟友パトロクロスは、敵将ヘクトルに討たれて死にました。
パトロクロスは、アキレスから借りた鎧と兜をヘクトルに奪われました。
そして、全裸同然のパトロクロスの遺体が、アキレスの陣中へと届けられたのです。
ロシアの画家Nikolai Ge(1831-1894)は、パトロクロスの死を嘆くアキレスを描きました。
ベッドに横たわっているのが、亡くなったパトロクロスです。
その遺体の上に覆いかぶさるようにしているのが、アキレスです。
盟友を失ったアキレスは、再び戦地へと赴くことを決意します。
しかし、この決意は、アキレスを破滅へと導くことになるのです。
2. 原題
Nikolai Geが描いた『アキレスとパトロクロスの遺体』は、英語では『Achilles and the body of Patroclus』と言います。
この作品は、ベラルーシ共和国の首都ミンスク(Minsk)にあるベラルーシ美術館(The Art Museum of Belarus)で見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
目次
1. 盟友パトロクロスの死
2. 原題
今回取り上げる作品は、Nikolai Ge作『アキレスとパトロクロスの遺体 upload.wikimedia.org』です。
1. 盟友パトロクロスの死
アキレスの盟友パトロクロスは、敵将ヘクトルに討たれて死にました。
パトロクロスは、アキレスから借りた鎧と兜をヘクトルに奪われました。
そして、全裸同然のパトロクロスの遺体が、アキレスの陣中へと届けられたのです。
ロシアの画家Nikolai Ge(1831-1894)は、パトロクロスの死を嘆くアキレスを描きました。
ベッドに横たわっているのが、亡くなったパトロクロスです。
その遺体の上に覆いかぶさるようにしているのが、アキレスです。
盟友を失ったアキレスは、再び戦地へと赴くことを決意します。
しかし、この決意は、アキレスを破滅へと導くことになるのです。
2. 原題
Nikolai Geが描いた『アキレスとパトロクロスの遺体』は、英語では『Achilles and the body of Patroclus』と言います。
この作品は、ベラルーシ共和国の首都ミンスク(Minsk)にあるベラルーシ美術館(The Art Museum of Belarus)で見ることが出来ます。
今日のブログは、ここまでです。
恵比寿ガーデンプレイスに行って来ました。
2012年1月21日(土)
1月2日(月)に、東京都渋谷区恵比寿にある恵比寿ガーデンプレイスに行って来ました(gardenplace.jp)。
この地には、1889年(明治22年)に日本麦酒醸造会社がビール醸造場を建設しました(gardenplace.jp)。
日本麦酒醸造会社は、サッポロビール株式会社(sapporobeer.jp)の前身です。
1984年(昭和59年)、東京都が「恵比寿地区整備計画」をまとめたことを受けて、サッポロビールは、1985年に工場の閉鎖を決定しました。
恵比寿工場が千葉県船橋市に移転し、千葉工場(sapporobeer.jp)となったのは、1988年のことです。
恵比寿工場の跡地は再開発され、1994年に「恵比寿ガーデンプレイス」が開業して現在に至ります。
恵比寿ガーデンプレイスのセンター広場では、2011年11月3日から2012年1月9日までの期間中、イルミネーションイベント『Baccarat ETERNAL LIGHTS ー 歓びのかたち ー』という企画が開催されていました(gardenplace.jp)。
高さ5m、幅3mのバカラ製のシャンデリアが展示され、広場に来た人はショーケース越しに誰でも見ることが出来ます。
シャンデリアは、午前中は消灯されていますが、正午になると点灯されました。
私が行った日は、天気は良かったのですが、気温がかなり低かったので、広場でしばらくシャンデリアを見つめていると体が冷えてきました。
そこで、広場に隣接する恵比寿三越の地下1階に入っている宮越屋珈琲(mitsukoshi.co.jp)でお茶を飲みながらシャンデリアを眺めることにしました。
三越の「地下1階」とは言っても、広場に面して出入り口がありますし、店内からちゃんとシャンデリアや太陽の光が見えるのです。
一般的な意味での「地下」ではありません。
宮越屋珈琲の店内にも、シャンデリアが吊ってありました。
店員によると、このシャンデリアはバカラ製ではないとのことです。
宮越屋珈琲(miyakoshiya-coffee.co.jp)はコーヒーがお薦めの店ですが、私は紅茶を頼みました。
ケーキセットは、一人分が1,050円でした。
私は2人分の2,100円を、現金で支払いました。
宮越屋珈琲の店員に聞いたところ、このシャンデリアの企画はここ数年来、この広場で開催されているものなんだそうです。
今日のブログは、ここまでです。
1月2日(月)に、東京都渋谷区恵比寿にある恵比寿ガーデンプレイスに行って来ました(gardenplace.jp)。
この地には、1889年(明治22年)に日本麦酒醸造会社がビール醸造場を建設しました(gardenplace.jp)。
日本麦酒醸造会社は、サッポロビール株式会社(sapporobeer.jp)の前身です。
1984年(昭和59年)、東京都が「恵比寿地区整備計画」をまとめたことを受けて、サッポロビールは、1985年に工場の閉鎖を決定しました。
恵比寿工場が千葉県船橋市に移転し、千葉工場(sapporobeer.jp)となったのは、1988年のことです。
恵比寿工場の跡地は再開発され、1994年に「恵比寿ガーデンプレイス」が開業して現在に至ります。
恵比寿ガーデンプレイスのセンター広場では、2011年11月3日から2012年1月9日までの期間中、イルミネーションイベント『Baccarat ETERNAL LIGHTS ー 歓びのかたち ー』という企画が開催されていました(gardenplace.jp)。
高さ5m、幅3mのバカラ製のシャンデリアが展示され、広場に来た人はショーケース越しに誰でも見ることが出来ます。
シャンデリアは、午前中は消灯されていますが、正午になると点灯されました。
私が行った日は、天気は良かったのですが、気温がかなり低かったので、広場でしばらくシャンデリアを見つめていると体が冷えてきました。
そこで、広場に隣接する恵比寿三越の地下1階に入っている宮越屋珈琲(mitsukoshi.co.jp)でお茶を飲みながらシャンデリアを眺めることにしました。
三越の「地下1階」とは言っても、広場に面して出入り口がありますし、店内からちゃんとシャンデリアや太陽の光が見えるのです。
一般的な意味での「地下」ではありません。
宮越屋珈琲の店内にも、シャンデリアが吊ってありました。
店員によると、このシャンデリアはバカラ製ではないとのことです。
宮越屋珈琲(miyakoshiya-coffee.co.jp)はコーヒーがお薦めの店ですが、私は紅茶を頼みました。
ケーキセットは、一人分が1,050円でした。
私は2人分の2,100円を、現金で支払いました。
宮越屋珈琲の店員に聞いたところ、このシャンデリアの企画はここ数年来、この広場で開催されているものなんだそうです。
今日のブログは、ここまでです。
ジュリオ・ロマーノ『パトロクロスの遺体を守る大アイアス』
2012年1月20日(金)(その3)
目次
1. アキレスの盟友パトロクロス
2. パトロクロスの死
3. 原題
今回取り上げる作品は、ジュリオ・ロマーノ作『パトロクロスの遺体を守る大アイアス wga.hu』です。
1. アキレスの盟友パトロクロス
アキレスが軍から離脱した後、ギリシア軍は困難な戦いを強いられていました。
アキレスの盟友パトロクロスは、アキレスが閉じこもっている陣屋を訪れ、戦争への参加を呼びかけます。
しかし、アキレスの決意は変わりそうにありません。
パトロクロスは、アキレスを説得することは断念します。
その代わりに、パトロクロスはアキレスの鎧と兜を借りて、戦場に赴くことにしました。
2. パトロクロスの死
アキレスの鎧と兜をつけたパトロクロスを、トロイ軍は最初、アキレスだと思っていました。
しばらくして、トロイのヘクトルは勇者の正体がアキレスではなく、パトロクロスであることを見抜きます。
ヘクトルと一騎打ちになったパトロクロスは、あえなく敗れ去り、命を落とします。
パトロクロスが着けていたアキレスの武具は、ヘクトルが奪って行きました。
イタリアの画家ジュリオ・ロマーノ(1499頃-1546)が描いているのは、大アイアスが仲間のパトロクロスの遺体をトロイ軍に奪われないように守っている場面です。
前景中央で全裸で死に絶えているのが、パトロクロスです。
その遺体を両腕で抱いているのが、大アイアスです。
パトロクロスの亡骸は、大アイアスのお陰で無事にギリシア陣営に届けられました。
3. 原題
ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)が描いた『パトロクロスの遺体を守る大アイアス』は、英語では『Ajax Defends Patroclus's Corps』と言います。
この作品は、イタリア北部の街マントヴァ(Mantova)にあるPalazzo Ducaleで見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. アキレスの盟友パトロクロス
2. パトロクロスの死
3. 原題
今回取り上げる作品は、ジュリオ・ロマーノ作『パトロクロスの遺体を守る大アイアス wga.hu』です。
1. アキレスの盟友パトロクロス
アキレスが軍から離脱した後、ギリシア軍は困難な戦いを強いられていました。
アキレスの盟友パトロクロスは、アキレスが閉じこもっている陣屋を訪れ、戦争への参加を呼びかけます。
しかし、アキレスの決意は変わりそうにありません。
パトロクロスは、アキレスを説得することは断念します。
その代わりに、パトロクロスはアキレスの鎧と兜を借りて、戦場に赴くことにしました。
2. パトロクロスの死
アキレスの鎧と兜をつけたパトロクロスを、トロイ軍は最初、アキレスだと思っていました。
しばらくして、トロイのヘクトルは勇者の正体がアキレスではなく、パトロクロスであることを見抜きます。
ヘクトルと一騎打ちになったパトロクロスは、あえなく敗れ去り、命を落とします。
パトロクロスが着けていたアキレスの武具は、ヘクトルが奪って行きました。
イタリアの画家ジュリオ・ロマーノ(1499頃-1546)が描いているのは、大アイアスが仲間のパトロクロスの遺体をトロイ軍に奪われないように守っている場面です。
前景中央で全裸で死に絶えているのが、パトロクロスです。
その遺体を両腕で抱いているのが、大アイアスです。
パトロクロスの亡骸は、大アイアスのお陰で無事にギリシア陣営に届けられました。
3. 原題
ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)が描いた『パトロクロスの遺体を守る大アイアス』は、英語では『Ajax Defends Patroclus's Corps』と言います。
この作品は、イタリア北部の街マントヴァ(Mantova)にあるPalazzo Ducaleで見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
クローバー六本木本店に行って来ました。
2012年1月20日(金)(その2)
2011年12月30日(金)に、東京都港区六本木7-15-10にあるクローバー六本木本店に行って来ました(clover-inc.com)。
12月28日(水)に、クローバー北千住マルイ店に行って来た話をしましたが(lorodesu.exblog.jp)、今回は、本店です。
フレーバーティの中の、マルコポーロを注文しました(clover-inc.com)。
紅茶単品だと945円なのですが、ケーキセットにすると1,050円になります。
つまり、単純計算でケーキ代は、105円ということになりますね。
六本木のカフェで、ケーキが105円とは、これは安いです。
なぜこんなに安く出来るかというと、このビルの1階にクローバーのケーキショップがあるからです。
ティーサロンは階段を上がった2階にあるのですが、1階と2階の業務が連動しているため、サロン単独でケーキを製造・保管する必要がないのです。
それにしても、安いですよね。
一番奥の席が空いていたので、そこに座ったのですが、壁にシャンボール城(Château de Chambord)の紙模型が飾ってありました。
シャンボール城(france-acces.com)とは、フランスのロワール渓谷にある城で、16世紀にフランソワ1世(1494-1547)のために建てられました。
フランソワ1世と同時期のイングランド王が、ヘンリー8世(1491-1547)です。
2011年2月18日の記事(lorodesu.exblog.jp)で、ヘンリー8世を取り上げました。
さて、2階のサロンでは会計を行なっていないので、階段で1階に降りて精算します。
ケーキセット(1,050円)を二人分で、会計は2,100円でした。
私は、現金で支払いました。
北千住マルイ店と同様に、分煙となっていますが、どうしてもタバコの煙は禁煙席にも回って来てしまいます。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月30日(金)に、東京都港区六本木7-15-10にあるクローバー六本木本店に行って来ました(clover-inc.com)。
12月28日(水)に、クローバー北千住マルイ店に行って来た話をしましたが(lorodesu.exblog.jp)、今回は、本店です。
フレーバーティの中の、マルコポーロを注文しました(clover-inc.com)。
紅茶単品だと945円なのですが、ケーキセットにすると1,050円になります。
つまり、単純計算でケーキ代は、105円ということになりますね。
六本木のカフェで、ケーキが105円とは、これは安いです。
なぜこんなに安く出来るかというと、このビルの1階にクローバーのケーキショップがあるからです。
ティーサロンは階段を上がった2階にあるのですが、1階と2階の業務が連動しているため、サロン単独でケーキを製造・保管する必要がないのです。
それにしても、安いですよね。
一番奥の席が空いていたので、そこに座ったのですが、壁にシャンボール城(Château de Chambord)の紙模型が飾ってありました。
シャンボール城(france-acces.com)とは、フランスのロワール渓谷にある城で、16世紀にフランソワ1世(1494-1547)のために建てられました。
フランソワ1世と同時期のイングランド王が、ヘンリー8世(1491-1547)です。
2011年2月18日の記事(lorodesu.exblog.jp)で、ヘンリー8世を取り上げました。
さて、2階のサロンでは会計を行なっていないので、階段で1階に降りて精算します。
ケーキセット(1,050円)を二人分で、会計は2,100円でした。
私は、現金で支払いました。
北千住マルイ店と同様に、分煙となっていますが、どうしてもタバコの煙は禁煙席にも回って来てしまいます。
今回のブログは、ここまでです。
日本料理・旬房に行って来ました。
2012年1月20日(金)(その1)
2011年12月30日(金)に、東京都港区六本木にある、日本料理・旬房(しゅんぼう)に行って来ました(restaurants.tokyo.grand.hyatt.co.jp)。
旬房は、六本木ヒルズ内、グランドハイアット東京の6階にあります。
前日に、電話で予約を入れました。
ガラス窓付近のテーブルに案内されましたが、外の景色が眺望できるわけではありません。
店内の床は石造りになっており、壁にも石が使われています。
割烹ランチ(restaurants.tokyo.grand.hyatt.co.jp)の中の、彩り弁当を注文しました。
三段の木製容器に、焼き物などが入ったものです。
メニューにはデザートと書いてありますが、水菓子ではなく、ミカンが出てきただけでした。
期待外れでしたね。
料金は、本体5,300円に、10%のサービス料530円が加算され、一人分は5,830円です。
私は二人分の11,660円を、クレジットカードで支払いました。
グランドハイアット東京は、地下鉄六本木駅と地下通路でつながってはいないので、エスカレーターを使っていったん地上に出る必要があります。
当日は晴天でしたが、突風が吹いており、屋外は結構肌寒かったです。
冬は気温自体よりも、冷たく強い風が吹き荒れるかどうかで体感温度が変わって来ますね。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月30日(金)に、東京都港区六本木にある、日本料理・旬房(しゅんぼう)に行って来ました(restaurants.tokyo.grand.hyatt.co.jp)。
旬房は、六本木ヒルズ内、グランドハイアット東京の6階にあります。
前日に、電話で予約を入れました。
ガラス窓付近のテーブルに案内されましたが、外の景色が眺望できるわけではありません。
店内の床は石造りになっており、壁にも石が使われています。
割烹ランチ(restaurants.tokyo.grand.hyatt.co.jp)の中の、彩り弁当を注文しました。
三段の木製容器に、焼き物などが入ったものです。
メニューにはデザートと書いてありますが、水菓子ではなく、ミカンが出てきただけでした。
期待外れでしたね。
料金は、本体5,300円に、10%のサービス料530円が加算され、一人分は5,830円です。
私は二人分の11,660円を、クレジットカードで支払いました。
グランドハイアット東京は、地下鉄六本木駅と地下通路でつながってはいないので、エスカレーターを使っていったん地上に出る必要があります。
当日は晴天でしたが、突風が吹いており、屋外は結構肌寒かったです。
冬は気温自体よりも、冷たく強い風が吹き荒れるかどうかで体感温度が変わって来ますね。
今回のブログは、ここまでです。
アンニーバレ・カラッチ『ジュピターとジュノ』
2012年1月19日(木)(その3)
目次
1. テティスの願い
2. アプロディーテの誘惑の帯
3. ポセイドンの加担
4. 原題
今回取り上げる作品は、アンニーバレ・カラッチ作『ジュピターとジュノ upload.wikimedia.org』です。
1. テティスの願い
ゼウスは、アガメムノンを窮地に陥(おとしい)れてやりたいというテティスの願いを聞き入れます。
そして、ゼウスはオリンポスの神々に、ギリシア軍とトロイ軍のどちらにも加勢してはいけないという命令を出します。
その上で、ゼウス自身はトロイ軍が優勢になるように、ギリシア軍の陣地に雷霆を放ちました。
地上では、突然の落雷にギリシア兵士たちは大混乱に陥(おちい)ります。
2. アプロディーテの誘惑の帯
ヘラは、トロイ軍が優勢になって行く様子を見て、腹立たしい気分になっていました。
ヘラもアテナ同様に、パリスの審判によって一番の美女の地位を得られなかったという恨みを抱いています。
ヘラは、今回のトロイ戦争に関しては、パリスの所属するトロイが負ければ良いと考えています。
ギリシア軍の形勢が不利になっていく中、ヘラはゼウスの命令があるため、戦争への関与が許されません。
そこでヘラは、女性の武器を使ってゼウスの気を引く作戦に出ます。
まずヘラはアプロディーテの神殿へ行き、アプロディーテの持っている「誘惑の帯」を借りました。
この帯があれば、神々と言えども女性の誘惑を拒むことは出来なくなるのです。
ヘラは夫のゼウスに声を掛け、この帯を着けた状態で二人きりになりました。
もちろん、ゼウスをその気にさせて、夫としての愛情をたっぷりと示してもらうためです。
イタリアの画家アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)が描いているのは、誘惑の帯を着けたヘラが豊満な乳房をゼウスに見せて、これから性交に及ぼうとしている場面です。
ゼウスはヘラの豊麗な左の太股に手を添えて、すっかりその気になっています。
ゼウスの足元にいるのは、ゼウスの聖鳥である鷲です。
ヘラの聖鳥である孔雀は、ヘラの左脚の奥に描かれています。
3. ポセイドンの加担
ゼウスがヘラと愛を楽しんでいる間に、ヘラの意を受けたポセイドンはギリシア軍に加勢しました。
ゼウスの目が戦場から離れている内に、ポセイドンに鼓舞されたギリシア軍は、少しずつ形勢を挽回して行きます。
4. 原題
アンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci)が描いた『ジュピターとジュノ』は、英語では『Jupiter and Juno』と言います。
この作品は、ローマにあるパラッツォ・ファルネーゼ(Palazzo Farnese)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. テティスの願い
2. アプロディーテの誘惑の帯
3. ポセイドンの加担
4. 原題
今回取り上げる作品は、アンニーバレ・カラッチ作『ジュピターとジュノ upload.wikimedia.org』です。
1. テティスの願い
ゼウスは、アガメムノンを窮地に陥(おとしい)れてやりたいというテティスの願いを聞き入れます。
そして、ゼウスはオリンポスの神々に、ギリシア軍とトロイ軍のどちらにも加勢してはいけないという命令を出します。
その上で、ゼウス自身はトロイ軍が優勢になるように、ギリシア軍の陣地に雷霆を放ちました。
地上では、突然の落雷にギリシア兵士たちは大混乱に陥(おちい)ります。
2. アプロディーテの誘惑の帯
ヘラは、トロイ軍が優勢になって行く様子を見て、腹立たしい気分になっていました。
ヘラもアテナ同様に、パリスの審判によって一番の美女の地位を得られなかったという恨みを抱いています。
ヘラは、今回のトロイ戦争に関しては、パリスの所属するトロイが負ければ良いと考えています。
ギリシア軍の形勢が不利になっていく中、ヘラはゼウスの命令があるため、戦争への関与が許されません。
そこでヘラは、女性の武器を使ってゼウスの気を引く作戦に出ます。
まずヘラはアプロディーテの神殿へ行き、アプロディーテの持っている「誘惑の帯」を借りました。
この帯があれば、神々と言えども女性の誘惑を拒むことは出来なくなるのです。
ヘラは夫のゼウスに声を掛け、この帯を着けた状態で二人きりになりました。
もちろん、ゼウスをその気にさせて、夫としての愛情をたっぷりと示してもらうためです。
イタリアの画家アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)が描いているのは、誘惑の帯を着けたヘラが豊満な乳房をゼウスに見せて、これから性交に及ぼうとしている場面です。
ゼウスはヘラの豊麗な左の太股に手を添えて、すっかりその気になっています。
ゼウスの足元にいるのは、ゼウスの聖鳥である鷲です。
ヘラの聖鳥である孔雀は、ヘラの左脚の奥に描かれています。
3. ポセイドンの加担
ゼウスがヘラと愛を楽しんでいる間に、ヘラの意を受けたポセイドンはギリシア軍に加勢しました。
ゼウスの目が戦場から離れている内に、ポセイドンに鼓舞されたギリシア軍は、少しずつ形勢を挽回して行きます。
4. 原題
アンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci)が描いた『ジュピターとジュノ』は、英語では『Jupiter and Juno』と言います。
この作品は、ローマにあるパラッツォ・ファルネーゼ(Palazzo Farnese)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
北千住マルイのサロン ド クローバーに行って来ました。
2012年1月19日(木)(その2)
2011年12月28日(水)に、東京都足立区千住にある北千住マルイの、サロン ド クローバーに行って来ました(0101.co.jp)。
リンクを張ったサイトには書いてありませんが、別のサイト(0101.co.jp)には3階にあると書いてあります。
サロン ド クローバーは、六本木に本店があるカフェ(clover-inc.com)で、北千住マルイ店には、独自商品の紅茶・モンマルトルがあります。
物珍しいので、注文してみました。
風味が良く、飲みやすい紅茶でした。
値段は、モンマルトル単品が630円です。
ケーキセットを注文した場合は、モンマルトルが480円、ケーキが500円で、合計980円となります。
私は、会計では2人分として、1,610円を現金で支払いました。
店内は、分煙になっています。
私は禁煙テーブルにつきましたが、多少、タバコの煙が感じられた時間帯もありました。
3階にある各店舗を見て回っている客よりも、このカフェの中にいる客の方が多いように思いました。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月28日(水)に、東京都足立区千住にある北千住マルイの、サロン ド クローバーに行って来ました(0101.co.jp)。
リンクを張ったサイトには書いてありませんが、別のサイト(0101.co.jp)には3階にあると書いてあります。
サロン ド クローバーは、六本木に本店があるカフェ(clover-inc.com)で、北千住マルイ店には、独自商品の紅茶・モンマルトルがあります。
物珍しいので、注文してみました。
風味が良く、飲みやすい紅茶でした。
値段は、モンマルトル単品が630円です。
ケーキセットを注文した場合は、モンマルトルが480円、ケーキが500円で、合計980円となります。
私は、会計では2人分として、1,610円を現金で支払いました。
店内は、分煙になっています。
私は禁煙テーブルにつきましたが、多少、タバコの煙が感じられた時間帯もありました。
3階にある各店舗を見て回っている客よりも、このカフェの中にいる客の方が多いように思いました。
今回のブログは、ここまでです。
笠間稲荷美術館に行って来ました。
2012年1月19日(木)(その1)
2011年12月28日(水)に、茨城県笠間市笠間にある笠間稲荷美術館に行って来ました(kasama.or.jp)。
笠間稲荷美術館は、リンクした境内図(kasama.or.jp)で言うと14番の建物に当たりますが、神社の拝殿や本殿が建っている敷地とは、道路で隔てられています。
神社境内には、美術館への誘導案内板などはほとんどなく、初めて訪れる者にとっては不親切です。
美術館の入り口付近には、小さな庭園が作ってありました。
池には水が張ってありますが、凍っていました。
さすがに、笠間は寒いんですね。
温暖な東京とは、気温が違うということですね。
池の後方には、見事な石灯籠が建っていました。
笠間は、御影石(みかげいし)の産地として有名ですので(kasama-kankou.jp)、恐らく、石灯籠も御影石で出来ているのだろうと思います。
私が行った時は、古陶器の展示ではなく、企画展として「上村淳之展」をやっていました。
上村淳之(うえむらあつし)は、上村松園(しょうえん)(1875-1949)の孫に当たります。
系譜を示します。
上村松園→上村松篁(しょうこう)→上村淳之
上村松園の代表作『序の舞』は、東京藝術大学大学美術館が所蔵しています(db.am.geidai.ac.jp)。
美術館の後方には、道路を隔てて、瑞鳳閣が建っています(kasama.or.jp)。
この建物は、大正天皇御即位記念として、1917年(大正6年)に伊東忠太(1867-1954)の設計により建てられました。
現在は、瑞鳳閣の周囲は、関係者以外立ち入り禁止になっていますが、外観を眺めることは出来ます。
一の鳥居(kasama.or.jp)からこの瑞鳳閣までが、笠間稲荷神社の境内ということになります。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月28日(水)に、茨城県笠間市笠間にある笠間稲荷美術館に行って来ました(kasama.or.jp)。
笠間稲荷美術館は、リンクした境内図(kasama.or.jp)で言うと14番の建物に当たりますが、神社の拝殿や本殿が建っている敷地とは、道路で隔てられています。
神社境内には、美術館への誘導案内板などはほとんどなく、初めて訪れる者にとっては不親切です。
美術館の入り口付近には、小さな庭園が作ってありました。
池には水が張ってありますが、凍っていました。
さすがに、笠間は寒いんですね。
温暖な東京とは、気温が違うということですね。
池の後方には、見事な石灯籠が建っていました。
笠間は、御影石(みかげいし)の産地として有名ですので(kasama-kankou.jp)、恐らく、石灯籠も御影石で出来ているのだろうと思います。
私が行った時は、古陶器の展示ではなく、企画展として「上村淳之展」をやっていました。
上村淳之(うえむらあつし)は、上村松園(しょうえん)(1875-1949)の孫に当たります。
系譜を示します。
上村松園→上村松篁(しょうこう)→上村淳之
上村松園の代表作『序の舞』は、東京藝術大学大学美術館が所蔵しています(db.am.geidai.ac.jp)。
美術館の後方には、道路を隔てて、瑞鳳閣が建っています(kasama.or.jp)。
この建物は、大正天皇御即位記念として、1917年(大正6年)に伊東忠太(1867-1954)の設計により建てられました。
現在は、瑞鳳閣の周囲は、関係者以外立ち入り禁止になっていますが、外観を眺めることは出来ます。
一の鳥居(kasama.or.jp)からこの瑞鳳閣までが、笠間稲荷神社の境内ということになります。
今回のブログは、ここまでです。
Joseph-Benoît Suvée『マルスとミネルヴァの戦い』
2012年1月18日(水)(その3)
目次
1. アレスとアテナの性格の相違
2. 敗れるアレス
3. 天界の神々
4. 原題
今回取り上げる作品は、Joseph-Benoît Suvée作『マルスとミネルヴァの戦い wga.hu』です。
1. アレスとアテナの性格の相違
マルスは、ギリシア神話ではアレスに相当します。
ミネルヴァは、ギリシア神話ではアテナに相当します。
アレスとアテナはともに軍神とされていますが、その性格は全く異なります。
アレスは、殺戮を目的とした戦争の神です。
戦争の中でも、主に狂乱と破壊の側面を司ります。
従って、理知的な男神ではありません。
オリュンポスの神々からも、疎まれている存在です。
但し、美貌の持ち主だけに、アプロディーテの愛人としての地位を確保しています。
一方のアテナは、平和をもたらすために知恵を絞る女神です。
戦争の中でも、主に知略の側面を司ります。
アテナは、男神を全く寄せ付けない処女神でもあります。
従って、アプロディーテと愛人関係を結んでいるアレスを軽蔑しているのです。
2. 敗れるアレス
ベルギーの画家Joseph-Benoît Suvée(1743-1807)は、ジャック=ルイ・ダヴィッドとは異なり、この戦いをアレスとアテナの神同士の戦いと捉えました。
ティリンスの王ディオメデスは、この作品には登場していません。
向かって左で、右手に黒い長槍を持って宙に浮いているのが、軍神アテナです。
理性的な表情で、倒れているアレスを見つめています。
アテナの楯アイギスに向かって右手を差し出しているのは、エロスですね。
エロスは、アレスとアプロディーテの子です。
エロスは、父アレスが敗れ去ったのを見ました。
そして、アテナが繰り出そうとしている更なる攻撃を、小さな手で防ごうとしているわけですね。
前景で、倒れて右手を胸の前に置いているのが、軍神アレスです。
アレスは黒い長槍で下腹部を突かれて、激痛を味わったところです。
アレスの後ろで介抱しているのは、愛人のアプロディーテです。
豊満な乳房を露にして、右手をアレスの右腕に優しく添えています。
処女神アテナは、アプロディーテのこういった献身的な態度も受け入れることは出来ません。
なぜなら、この二人は不倫関係にあるからです。
アプロディーテとアレスの関係は、そもそもの出発点からして倫理基準から外れているのです。
さらに、アテナは、美貌ではアプロディーテに引けを取りません。
従って、美の女神アプロディーテを前にしても、何ら臆する必要はないのです。
3. 天界の神々
この戦いの様子を、天界から何人かの神々が見つめています。
後景、向かって左で、三叉矛を持っているのはポセイドンです。
その向かって右で、リュートを持っているのはアポロンです。
中景、向かって右で、背中を見せて左手を下に向けているのはヘルメスです。
4. 原題
Joseph-Benoît Suvéeが描いた『マルスとミネルヴァの戦い』は、英語では『The Combat of Mars and Minerva』と言います。
この作品は、フランス北部の街リール(Lille)にある美術館(Palais des beaux-arts de Lille)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. アレスとアテナの性格の相違
2. 敗れるアレス
3. 天界の神々
4. 原題
今回取り上げる作品は、Joseph-Benoît Suvée作『マルスとミネルヴァの戦い wga.hu』です。
1. アレスとアテナの性格の相違
マルスは、ギリシア神話ではアレスに相当します。
ミネルヴァは、ギリシア神話ではアテナに相当します。
アレスとアテナはともに軍神とされていますが、その性格は全く異なります。
アレスは、殺戮を目的とした戦争の神です。
戦争の中でも、主に狂乱と破壊の側面を司ります。
従って、理知的な男神ではありません。
オリュンポスの神々からも、疎まれている存在です。
但し、美貌の持ち主だけに、アプロディーテの愛人としての地位を確保しています。
一方のアテナは、平和をもたらすために知恵を絞る女神です。
戦争の中でも、主に知略の側面を司ります。
アテナは、男神を全く寄せ付けない処女神でもあります。
従って、アプロディーテと愛人関係を結んでいるアレスを軽蔑しているのです。
2. 敗れるアレス
ベルギーの画家Joseph-Benoît Suvée(1743-1807)は、ジャック=ルイ・ダヴィッドとは異なり、この戦いをアレスとアテナの神同士の戦いと捉えました。
ティリンスの王ディオメデスは、この作品には登場していません。
向かって左で、右手に黒い長槍を持って宙に浮いているのが、軍神アテナです。
理性的な表情で、倒れているアレスを見つめています。
アテナの楯アイギスに向かって右手を差し出しているのは、エロスですね。
エロスは、アレスとアプロディーテの子です。
エロスは、父アレスが敗れ去ったのを見ました。
そして、アテナが繰り出そうとしている更なる攻撃を、小さな手で防ごうとしているわけですね。
前景で、倒れて右手を胸の前に置いているのが、軍神アレスです。
アレスは黒い長槍で下腹部を突かれて、激痛を味わったところです。
アレスの後ろで介抱しているのは、愛人のアプロディーテです。
豊満な乳房を露にして、右手をアレスの右腕に優しく添えています。
処女神アテナは、アプロディーテのこういった献身的な態度も受け入れることは出来ません。
なぜなら、この二人は不倫関係にあるからです。
アプロディーテとアレスの関係は、そもそもの出発点からして倫理基準から外れているのです。
さらに、アテナは、美貌ではアプロディーテに引けを取りません。
従って、美の女神アプロディーテを前にしても、何ら臆する必要はないのです。
3. 天界の神々
この戦いの様子を、天界から何人かの神々が見つめています。
後景、向かって左で、三叉矛を持っているのはポセイドンです。
その向かって右で、リュートを持っているのはアポロンです。
中景、向かって右で、背中を見せて左手を下に向けているのはヘルメスです。
4. 原題
Joseph-Benoît Suvéeが描いた『マルスとミネルヴァの戦い』は、英語では『The Combat of Mars and Minerva』と言います。
この作品は、フランス北部の街リール(Lille)にある美術館(Palais des beaux-arts de Lille)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
常磐松の碑を見て来ました。
2012年1月18日(水)(その2)
2011年12月25日(日)に、東京都渋谷区東4-4-9にある常磐松の碑を見て来ました。
常陸宮邸を右手に見て直進すると、左側に白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(city.shibuya.tokyo.jp)が見えます。
そこを越えた辺りで、右手を見ると、常磐松の碑が建っています。
碑は、江戸時代に薩摩藩が建てたもので、向かって左隣に渋谷区教育委員会(city.shibuya.tokyo.jp)が設置した解説用の案内板が建っています。
案内板によると、ここには樹齢400年を超える松の木があったそうです。
その松は、大東亜戦争の空襲で焼失しました。
残念です。
現在は、1メートルほどの高さの「二代目常磐松」が、碑のそばに植えられています。
この松が常磐松と呼ばれる由縁(ゆえん)は諸説ありますが、源義朝(1123-1160)の側室・常磐御前が植えたという説が、最も歴史浪漫を感じさせます。
源義朝は、頼朝や義経の父で、常磐御前は義経の母です。
現在の常陸宮邸が、別名・常磐松御用邸と呼ばれているのは、この「常磐松」に由来します。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月25日(日)に、東京都渋谷区東4-4-9にある常磐松の碑を見て来ました。
常陸宮邸を右手に見て直進すると、左側に白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(city.shibuya.tokyo.jp)が見えます。
そこを越えた辺りで、右手を見ると、常磐松の碑が建っています。
碑は、江戸時代に薩摩藩が建てたもので、向かって左隣に渋谷区教育委員会(city.shibuya.tokyo.jp)が設置した解説用の案内板が建っています。
案内板によると、ここには樹齢400年を超える松の木があったそうです。
その松は、大東亜戦争の空襲で焼失しました。
残念です。
現在は、1メートルほどの高さの「二代目常磐松」が、碑のそばに植えられています。
この松が常磐松と呼ばれる由縁(ゆえん)は諸説ありますが、源義朝(1123-1160)の側室・常磐御前が植えたという説が、最も歴史浪漫を感じさせます。
源義朝は、頼朝や義経の父で、常磐御前は義経の母です。
現在の常陸宮邸が、別名・常磐松御用邸と呼ばれているのは、この「常磐松」に由来します。
今回のブログは、ここまでです。
常陸宮邸門前に行って来ました。
2012年1月18日(水)(その1)
2011年12月25日(日)に、東京都渋谷区東にある常陸宮邸門前に行って来ました。
常陸宮(1935-)は、今上天皇(1933-)の弟宮に当たります。
系譜を示します。
明治天皇→大正天皇→昭和天皇→常陸宮
現在、この屋敷には、常陸宮ご夫妻がお住まいになっているので、通常、門は閉じられていますし、皇宮警察が警備をしています。
常陸宮妃は、華子殿下です。
常陸宮妃華子殿下(1940-)は、旧名・津軽華子さんで、旧弘前藩主・津軽家のご出身です。
この屋敷は、常磐松御用邸という異称を有します。
常磐松に関することは、別の記事で述べます。
この場所には、かつては、薩摩藩の屋敷がありました。
篤姫(1836-1883)は、この薩摩藩屋敷で最終的な輿入れ準備をして、1856年に、13代将軍徳川家定(在位:1853-1858)の御台所(みだいどころ)となるべく、江戸城に入ったのです。
篤姫は、二十歳で江戸城に入ったわけですね。
時は下り、昭和時代には、この屋敷は東宮仮御所となりました。
今上天皇の結婚の儀は、皇太子時代の1959年4月10日に執り行われたのですが、この時点では、東宮御所はまだ赤坂御用地内に完成していませんでした。
そこで、渋谷区東にあるこの常磐松御用邸を東宮仮御所と定め、一時的にご夫妻でお暮らしになっていたわけです。
宮中において結婚の儀を終えた後、皇太子ご夫妻はパレードのために皇居を出発して、最終的にこの屋敷に到着したわけです。
渋谷区の「東(ひがし)」という地名は、何だか素っ気ない感じがするのは私だけでしょうか。
渋谷駅の東に当たる地域という意味で、東と名付けられたのだと思いますが、通例だと、東の前に何か町名が入りますよね。
実は、元々、この付近には、「恵比寿東」という町名が存在しました。
山手線の西側には、今でも「恵比寿西」という地名が残っていますが、なぜか東側のこの一帯は、「恵比寿」という文字がなくなり、「東」という町名になって現在に至ります。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月25日(日)に、東京都渋谷区東にある常陸宮邸門前に行って来ました。
常陸宮(1935-)は、今上天皇(1933-)の弟宮に当たります。
系譜を示します。
明治天皇→大正天皇→昭和天皇→常陸宮
現在、この屋敷には、常陸宮ご夫妻がお住まいになっているので、通常、門は閉じられていますし、皇宮警察が警備をしています。
常陸宮妃は、華子殿下です。
常陸宮妃華子殿下(1940-)は、旧名・津軽華子さんで、旧弘前藩主・津軽家のご出身です。
この屋敷は、常磐松御用邸という異称を有します。
常磐松に関することは、別の記事で述べます。
この場所には、かつては、薩摩藩の屋敷がありました。
篤姫(1836-1883)は、この薩摩藩屋敷で最終的な輿入れ準備をして、1856年に、13代将軍徳川家定(在位:1853-1858)の御台所(みだいどころ)となるべく、江戸城に入ったのです。
篤姫は、二十歳で江戸城に入ったわけですね。
時は下り、昭和時代には、この屋敷は東宮仮御所となりました。
今上天皇の結婚の儀は、皇太子時代の1959年4月10日に執り行われたのですが、この時点では、東宮御所はまだ赤坂御用地内に完成していませんでした。
そこで、渋谷区東にあるこの常磐松御用邸を東宮仮御所と定め、一時的にご夫妻でお暮らしになっていたわけです。
宮中において結婚の儀を終えた後、皇太子ご夫妻はパレードのために皇居を出発して、最終的にこの屋敷に到着したわけです。
渋谷区の「東(ひがし)」という地名は、何だか素っ気ない感じがするのは私だけでしょうか。
渋谷駅の東に当たる地域という意味で、東と名付けられたのだと思いますが、通例だと、東の前に何か町名が入りますよね。
実は、元々、この付近には、「恵比寿東」という町名が存在しました。
山手線の西側には、今でも「恵比寿西」という地名が残っていますが、なぜか東側のこの一帯は、「恵比寿」という文字がなくなり、「東」という町名になって現在に至ります。
今回のブログは、ここまでです。
ジャック=ルイ・ダヴィッド『マルスとミネルヴァの戦い』
2012年1月17日(火)(その3)
目次
1. ティリンスの王ディオメデス
2. アレス対アテナ
3. 原題
今回取り上げる作品は、ジャック=ルイ・ダヴィッド作『マルスとミネルヴァの戦い wga.hu』です。
1. ティリンスの王ディオメデス
フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)が描いているのは、軍神アレスとアテナが戦っている場面です。
画面中央で官能的な左の太股を露にして、右手で指差しているのが、軍神兼処女神のアテナです。
アテナの向かって右で、黒い槍を持って腕を組んでいるのはディオメデスです。
ディオメデスは、古代ギリシアの都市ティリンスの王です。
ティリンスがあった場所は、現在ではギリシアのミケーネ文明の遺跡となっています。
ディオメデスは後に、オデュッセウスと共にトロイの街に潜入して、パラディオンを盗み出すことになります。
2. アレス対アテナ
アレスは、トロイ戦争においてトロイ側についていました。
アレスの愛人であるアプロディーテが、パリスの所属するトロイ軍を味方しているからです。
一方、もう一人の軍神アテナは、トロイ戦争においてギリシア側についていました。
アテナはアテナイの守護神ですから、ギリシア側についているわけです。
さらに、アテナは美女コンテストにおいてトロイの王子パリスから落選の判定を受けています。
アテナはヘラと共に、このパリスが下した判断に対して、恨みを持っているのです。
そこでアテナは、ギリシア人のディオメデスに加担してアレスを打ち負かそうとしたのです。
トロイ戦争は、人間だけでなく神々の世界をも二分する戦いとなっていたのです。
ディオメデスは、アレスの下腹部を長槍で突きました。
この一撃が勝敗を決し、アレスは地面に倒れて許しを乞う羽目になったのです。
画面後景で雲の上に乗って、右手を開いているのは、アプロディーテです。
愛人のアレスが戦いに敗れたので、その身を案じて天界から急行したのです。
3. 原題
ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が描いた『マルスとミネルヴァの戦い』は、英語では『The Combat of Mars and Minerva』と言います。
この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre cartelen.louvre.fr)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. ティリンスの王ディオメデス
2. アレス対アテナ
3. 原題
今回取り上げる作品は、ジャック=ルイ・ダヴィッド作『マルスとミネルヴァの戦い wga.hu』です。
1. ティリンスの王ディオメデス
フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)が描いているのは、軍神アレスとアテナが戦っている場面です。
画面中央で官能的な左の太股を露にして、右手で指差しているのが、軍神兼処女神のアテナです。
アテナの向かって右で、黒い槍を持って腕を組んでいるのはディオメデスです。
ディオメデスは、古代ギリシアの都市ティリンスの王です。
ティリンスがあった場所は、現在ではギリシアのミケーネ文明の遺跡となっています。
ディオメデスは後に、オデュッセウスと共にトロイの街に潜入して、パラディオンを盗み出すことになります。
2. アレス対アテナ
アレスは、トロイ戦争においてトロイ側についていました。
アレスの愛人であるアプロディーテが、パリスの所属するトロイ軍を味方しているからです。
一方、もう一人の軍神アテナは、トロイ戦争においてギリシア側についていました。
アテナはアテナイの守護神ですから、ギリシア側についているわけです。
さらに、アテナは美女コンテストにおいてトロイの王子パリスから落選の判定を受けています。
アテナはヘラと共に、このパリスが下した判断に対して、恨みを持っているのです。
そこでアテナは、ギリシア人のディオメデスに加担してアレスを打ち負かそうとしたのです。
トロイ戦争は、人間だけでなく神々の世界をも二分する戦いとなっていたのです。
ディオメデスは、アレスの下腹部を長槍で突きました。
この一撃が勝敗を決し、アレスは地面に倒れて許しを乞う羽目になったのです。
画面後景で雲の上に乗って、右手を開いているのは、アプロディーテです。
愛人のアレスが戦いに敗れたので、その身を案じて天界から急行したのです。
3. 原題
ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が描いた『マルスとミネルヴァの戦い』は、英語では『The Combat of Mars and Minerva』と言います。
この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre cartelen.louvre.fr)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
フレンチレストランのエパヌイに行って来ました。
2012年1月17日(火)(その2)
目次
1. 広尾駅からの道順
2. ランチクリスマスメニュー
今日から、新企画が始まります。
私が実際に訪れたレストランや料亭、あるいはカフェなどを紹介していきます。
ここに書くのは、飲食店の所在地や最寄り駅からの経路などの基本情報が中心です。
料理の是非や従業員の態度に関する不満などは、出来るだけ書かないよう努めます。
但し、不衛生や、度を越した従業員の悪態については、事実を記す可能性もあります。
1. 広尾駅からの道順
2011年12月25日(日)に、東京都渋谷区広尾3-2-14にあるフレンチレストラン、エパヌイ(epanoui.net)に行って来ました。
エパヌイはフランス語だと、épanoui、と綴り、晴れやかな~、という語義の形容詞です。
un visage épanouiは、晴れ晴れした顔、という意味になります。
私はインターネットで予約を入れ、メールで予約確認のやり取りをしましたので、電話は使ってはいません。
ランチは、金・土・日・祝日のみ、営業しています。
店の公式サイトでは、東京メトロ日比谷線を使う場合、恵比寿駅から歩くよう推奨していますが(epanoui.net)、私は広尾駅から歩きました。
道順は結構複雑ですが、昼間でしたし、私は地図を見ながら歩いて行ったので、迷うことはありませんでした。
私が頼りにした目印を示します。
広尾駅→広尾橋交差点→祥雲寺→上宮寺→聖心女子大学→真如苑東京本部→チェコ大使館→日本赤十字医療センター→日赤病院前交番→東京女学館→日本ユダヤ教団→創価学会渋谷文化会館→広尾三丁目交差点→エパヌイ
日赤病院前交番から広尾三丁目交差点までは、下り坂になっていて、バスが通る道になっています。
広尾三丁目交差点を過ぎると、すぐに左手にセブンイレブンが見えますが、エパヌイは道路を隔てた向かいの、奥まった所にあります。
ここは、一軒家になっており、オーナーの住居と店舗が隣接しています。
広尾駅からエパヌイまで、ゆっくり歩いて20分ぐらいかかりました。
2. ランチクリスマスメニュー
通常のランチ(epanoui.net)は、3,885円のコースか、5,460円のコースのどちらかを選ぶのですが、私が行った12月25日はクリスマスメニューになっており、6,300円でした。
ワインなどは頼まず、普通の水(無料)を頼みました。
6,300円に加えて、10%のサービス料(630円)及びそのサービス料の5%(31円)が必要で、一人分の総額は、6,961円です。
私が支払ったのは2人分で、総額は13,923円でした。
クレジットカードで支払いました。
店内は小ぢんまりとしていて、テーブル間はそれほど広くはありません。
私が行った時は、オーナーシェフの男性と給仕の女性の2人だけで、営業しているようでした。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. 広尾駅からの道順
2. ランチクリスマスメニュー
今日から、新企画が始まります。
私が実際に訪れたレストランや料亭、あるいはカフェなどを紹介していきます。
ここに書くのは、飲食店の所在地や最寄り駅からの経路などの基本情報が中心です。
料理の是非や従業員の態度に関する不満などは、出来るだけ書かないよう努めます。
但し、不衛生や、度を越した従業員の悪態については、事実を記す可能性もあります。
1. 広尾駅からの道順
2011年12月25日(日)に、東京都渋谷区広尾3-2-14にあるフレンチレストラン、エパヌイ(epanoui.net)に行って来ました。
エパヌイはフランス語だと、épanoui、と綴り、晴れやかな~、という語義の形容詞です。
un visage épanouiは、晴れ晴れした顔、という意味になります。
私はインターネットで予約を入れ、メールで予約確認のやり取りをしましたので、電話は使ってはいません。
ランチは、金・土・日・祝日のみ、営業しています。
店の公式サイトでは、東京メトロ日比谷線を使う場合、恵比寿駅から歩くよう推奨していますが(epanoui.net)、私は広尾駅から歩きました。
道順は結構複雑ですが、昼間でしたし、私は地図を見ながら歩いて行ったので、迷うことはありませんでした。
私が頼りにした目印を示します。
広尾駅→広尾橋交差点→祥雲寺→上宮寺→聖心女子大学→真如苑東京本部→チェコ大使館→日本赤十字医療センター→日赤病院前交番→東京女学館→日本ユダヤ教団→創価学会渋谷文化会館→広尾三丁目交差点→エパヌイ
日赤病院前交番から広尾三丁目交差点までは、下り坂になっていて、バスが通る道になっています。
広尾三丁目交差点を過ぎると、すぐに左手にセブンイレブンが見えますが、エパヌイは道路を隔てた向かいの、奥まった所にあります。
ここは、一軒家になっており、オーナーの住居と店舗が隣接しています。
広尾駅からエパヌイまで、ゆっくり歩いて20分ぐらいかかりました。
2. ランチクリスマスメニュー
通常のランチ(epanoui.net)は、3,885円のコースか、5,460円のコースのどちらかを選ぶのですが、私が行った12月25日はクリスマスメニューになっており、6,300円でした。
ワインなどは頼まず、普通の水(無料)を頼みました。
6,300円に加えて、10%のサービス料(630円)及びそのサービス料の5%(31円)が必要で、一人分の総額は、6,961円です。
私が支払ったのは2人分で、総額は13,923円でした。
クレジットカードで支払いました。
店内は小ぢんまりとしていて、テーブル間はそれほど広くはありません。
私が行った時は、オーナーシェフの男性と給仕の女性の2人だけで、営業しているようでした。
今回のブログは、ここまでです。
浜離宮恩賜庭園に行って来ました。
2012年1月17日(火)(その1)
目次
1. 中の御門(なかのごもん)入口
2. 庭園の始まり
3. 可美真手命(うましまでのみこと)
4. 御茶屋
5. 庭園内からの眺め
6. 風流な橋
7. 延遼館
8. 三百年の松
1. 中の御門(なかのごもん)入口
2011年12月24日(土)に、東京都中央区浜離宮庭園にある浜離宮恩賜庭園に行って来ました(teien.tokyo-park.or.jp)。
庭園への入口は、2ヶ所あります(teien.tokyo-park.or.jp)。
私は海岸通りに面した中の御門(なかのごもん)入口から入りましたが、ここはパスモ(pasmo.co.jp)は使えず、現金で入場料を払いました。
係員によると、大手門入口では、パスモが使えるそうです。
2. 庭園の始まり
この地は、1654年(承応3年)に松平綱重が海を埋め立てて、別邸を建てたのが始まりです。
松平綱重(1644-1678)は、3代将軍・徳川家光(1604-1651)の三男で、秀忠の孫に当たります。
系譜を示します。
初代将軍・家康→2代・秀忠→3代・家光→綱重
4代将軍家綱(1641-1680)は、家光の長男で、綱重の兄に当たり、5代将軍の綱吉(1646-1709)は、家光の四男で、綱重の弟にあたります。
綱重が「海を埋め立てて、別邸を建てた」のは、1654年のことですから、まだ10歳ですね。
その時の将軍・家綱(在位:1651-1680)にしても、まだ13歳ですから、実際に別邸建設の命令を出したのは、保科正之(1611-1673)のような家綱の側近でしょうね。
家綱の死後、弟の綱吉(在位:1680-1709)が5代将軍となりますが、後を継ぐはずの嫡男・徳松(1679-1683)が夭折したため、6代将軍には綱重の長男・家宣(1662-1712)が就任します。
系譜を示します。
家康→秀忠→家光→綱重→家宣
家宣(在位:1709-1712)が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、浜御殿と呼ばれるようになりました。
明治維新後は、皇室の離宮となり、浜離宮と呼ばれるようになりました。
現在の「浜離宮恩賜」という名称は、この時に由来します。
関東大震災や大東亜戦争の空襲の被害を受け、1945年(昭和20年)に東京都に下賜されて、現在に至ります。
3. 可美真手命(うましまでのみこと)
さて、中の御門を背にして直進すると、可美真手命(うましまでのみこと)の銅像が建っています。
可美真手は、神武天皇の東征に従い、手柄を立てたと言われる軍神で、饒速日命(にぎはやひのみこと)の皇子です。
いつ頃、どういう由来で、可美真手の像がこの地に建てられたのかは不明です。
「皇室離宮」ということに関連して、建てられたのかも知れませんね。
4. 御茶屋
庭園内には、かつて5つの御茶屋がありましたが、現在、私たちが見ることが出来るのは2つだけです。
松の御茶屋(teien.tokyo-park.or.jp)は、1869年(明治2年)に、第2代駐日英国公使のハリー・パークス(1828-1885)が会食のために訪れたこともある建物ですが、大東亜戦争の空襲により焼失しました。
残念です。
松の御茶屋は、江戸時代の文献を基に、2010年(平成22年)に復元されました(shinbashi.keizai.biz)。
東京湾沿いにあった汐見の御茶屋と、藤棚の西にあった燕の御茶屋は現存しません。
消失の原因は、不明です。
藤棚の手前にあった鷹の御茶屋は、1944年(昭和19年)の空襲で焼失しました。
残念です。
現在は、茶屋跡として休憩所や売店が設けられています。
中島の御茶屋は、園遊接待のための施設で、1707年(宝永4年)に6代将軍に就任する前の家宣(在位:1709-1712)が建設したものです。
この御茶屋は、狎鷗亭(こうおうてい)という異称があります。
1724年(享保9年)に、「初代狎鷗亭」は火災で焼失し、1788年(天明8年)に再建されました。
「2代目狎鷗亭」は、1944年(昭和19年)11月の空襲により、焼失しました。
残念です。
現在、私たちが見ている中島の御茶屋は3代目で、1983年(昭和58年)に再建されたものです。
5. 庭園内からの眺め
園内の南端にある富士見山に登ってみると、庭園の半分以上が眼下に広がっています。
恐らく、江戸時代は、西の方向に富士山が見えていたのだと思います。
現在は、北の方に東京スカイツリーが見えます。
庭園の東側は、東京湾に面しており、レインボーブリッジやフジテレビの社屋が見えます。
海沿いに北へ進むと、将軍お上がり場があります。
将軍お上がり場とは、将軍が隅田川から浜御殿に来た時などに乗降した船着場です。
15代将軍慶喜(在位:1867-1868)は、京都において鳥羽・伏見の戦いを薩摩藩兵らと繰り広げていましたが、その途中で軍艦開陽丸に乗って大阪港から脱出し、このお上がり場に到着した後、騎馬で江戸城へと帰還したわけです。
慶喜の浜離宮到着は、1868年(慶應4年)2月5日未明です。
松の御茶屋の東にある御亭山(おちんやま)に登って西の方を見ると、東京タワーや六本木ヒルズが見えます。
6. 風流な橋
潮入(しおいり)の池に架かる「お伝い橋」と「海手お伝い橋」の2本の橋は、直線の形状ではなく、途中で方向が90度曲がる構造になっています。
この構造が、風流です。
私は、こういう形状の橋が好きです。
潮入の池とは、海水を取り入れて、潮の干満により水位を上下させ、庭園の趣に変化が生じるように作られている池を指します。
「お伝い橋」は、元々は、1707年(宝永4年)に6代将軍に就任する前の家宣(在位:1709-1712)が架けたもので、現在あるのは、1997年(平成9年)に再建されたものです。
私は、「お伝い橋」の上で野良の黒猫とすれ違いました。
旧大名庭園を散策するとは、風流な猫です。
7. 延遼館
明治時代初期には、大手門と中の御門の中間に、延遼館(えんりょうかん)という洋風石造建築物が建っていました。
延遼館は、外国要人の迎賓館として使うために、1869年(明治2年)に落成したものです。
1879年(明治12年)7月から9月にかけては、アメリカの第18代大統領だったユリシーズ・グラント(在位:1869-1877)の一行が延遼館に滞在しています。
案内板の記述によると、1887年(明治20年)に発生した地震により損壊し、1889年(明治22年)に取り壊されたのだそうです。
現在は、延遼館の跡地には建物はありません。
8. 三百年の松
大手門付近には、奇妙な伸び方をした松が植えられています。
これは、6代将軍家宣(在位:1709-1712)が1709年(宝永6年)にこの庭園を大改修した際に植えた松で、「三百年の松」と呼ばれています。
案内板の付近で見えているのはこの松の枝であり、大元の幹は、その背後の石段の上にあります。
つまり、この松は、垂直方向には伸びす、水平方向に成長したわけです。
この「三百年の松」の庭園外後方には、朝日新聞社の社屋が見えます。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. 中の御門(なかのごもん)入口
2. 庭園の始まり
3. 可美真手命(うましまでのみこと)
4. 御茶屋
5. 庭園内からの眺め
6. 風流な橋
7. 延遼館
8. 三百年の松
1. 中の御門(なかのごもん)入口
2011年12月24日(土)に、東京都中央区浜離宮庭園にある浜離宮恩賜庭園に行って来ました(teien.tokyo-park.or.jp)。
庭園への入口は、2ヶ所あります(teien.tokyo-park.or.jp)。
私は海岸通りに面した中の御門(なかのごもん)入口から入りましたが、ここはパスモ(pasmo.co.jp)は使えず、現金で入場料を払いました。
係員によると、大手門入口では、パスモが使えるそうです。
2. 庭園の始まり
この地は、1654年(承応3年)に松平綱重が海を埋め立てて、別邸を建てたのが始まりです。
松平綱重(1644-1678)は、3代将軍・徳川家光(1604-1651)の三男で、秀忠の孫に当たります。
系譜を示します。
初代将軍・家康→2代・秀忠→3代・家光→綱重
4代将軍家綱(1641-1680)は、家光の長男で、綱重の兄に当たり、5代将軍の綱吉(1646-1709)は、家光の四男で、綱重の弟にあたります。
綱重が「海を埋め立てて、別邸を建てた」のは、1654年のことですから、まだ10歳ですね。
その時の将軍・家綱(在位:1651-1680)にしても、まだ13歳ですから、実際に別邸建設の命令を出したのは、保科正之(1611-1673)のような家綱の側近でしょうね。
家綱の死後、弟の綱吉(在位:1680-1709)が5代将軍となりますが、後を継ぐはずの嫡男・徳松(1679-1683)が夭折したため、6代将軍には綱重の長男・家宣(1662-1712)が就任します。
系譜を示します。
家康→秀忠→家光→綱重→家宣
家宣(在位:1709-1712)が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、浜御殿と呼ばれるようになりました。
明治維新後は、皇室の離宮となり、浜離宮と呼ばれるようになりました。
現在の「浜離宮恩賜」という名称は、この時に由来します。
関東大震災や大東亜戦争の空襲の被害を受け、1945年(昭和20年)に東京都に下賜されて、現在に至ります。
3. 可美真手命(うましまでのみこと)
さて、中の御門を背にして直進すると、可美真手命(うましまでのみこと)の銅像が建っています。
可美真手は、神武天皇の東征に従い、手柄を立てたと言われる軍神で、饒速日命(にぎはやひのみこと)の皇子です。
いつ頃、どういう由来で、可美真手の像がこの地に建てられたのかは不明です。
「皇室離宮」ということに関連して、建てられたのかも知れませんね。
4. 御茶屋
庭園内には、かつて5つの御茶屋がありましたが、現在、私たちが見ることが出来るのは2つだけです。
松の御茶屋(teien.tokyo-park.or.jp)は、1869年(明治2年)に、第2代駐日英国公使のハリー・パークス(1828-1885)が会食のために訪れたこともある建物ですが、大東亜戦争の空襲により焼失しました。
残念です。
松の御茶屋は、江戸時代の文献を基に、2010年(平成22年)に復元されました(shinbashi.keizai.biz)。
東京湾沿いにあった汐見の御茶屋と、藤棚の西にあった燕の御茶屋は現存しません。
消失の原因は、不明です。
藤棚の手前にあった鷹の御茶屋は、1944年(昭和19年)の空襲で焼失しました。
残念です。
現在は、茶屋跡として休憩所や売店が設けられています。
中島の御茶屋は、園遊接待のための施設で、1707年(宝永4年)に6代将軍に就任する前の家宣(在位:1709-1712)が建設したものです。
この御茶屋は、狎鷗亭(こうおうてい)という異称があります。
1724年(享保9年)に、「初代狎鷗亭」は火災で焼失し、1788年(天明8年)に再建されました。
「2代目狎鷗亭」は、1944年(昭和19年)11月の空襲により、焼失しました。
残念です。
現在、私たちが見ている中島の御茶屋は3代目で、1983年(昭和58年)に再建されたものです。
5. 庭園内からの眺め
園内の南端にある富士見山に登ってみると、庭園の半分以上が眼下に広がっています。
恐らく、江戸時代は、西の方向に富士山が見えていたのだと思います。
現在は、北の方に東京スカイツリーが見えます。
庭園の東側は、東京湾に面しており、レインボーブリッジやフジテレビの社屋が見えます。
海沿いに北へ進むと、将軍お上がり場があります。
将軍お上がり場とは、将軍が隅田川から浜御殿に来た時などに乗降した船着場です。
15代将軍慶喜(在位:1867-1868)は、京都において鳥羽・伏見の戦いを薩摩藩兵らと繰り広げていましたが、その途中で軍艦開陽丸に乗って大阪港から脱出し、このお上がり場に到着した後、騎馬で江戸城へと帰還したわけです。
慶喜の浜離宮到着は、1868年(慶應4年)2月5日未明です。
松の御茶屋の東にある御亭山(おちんやま)に登って西の方を見ると、東京タワーや六本木ヒルズが見えます。
6. 風流な橋
潮入(しおいり)の池に架かる「お伝い橋」と「海手お伝い橋」の2本の橋は、直線の形状ではなく、途中で方向が90度曲がる構造になっています。
この構造が、風流です。
私は、こういう形状の橋が好きです。
潮入の池とは、海水を取り入れて、潮の干満により水位を上下させ、庭園の趣に変化が生じるように作られている池を指します。
「お伝い橋」は、元々は、1707年(宝永4年)に6代将軍に就任する前の家宣(在位:1709-1712)が架けたもので、現在あるのは、1997年(平成9年)に再建されたものです。
私は、「お伝い橋」の上で野良の黒猫とすれ違いました。
旧大名庭園を散策するとは、風流な猫です。
7. 延遼館
明治時代初期には、大手門と中の御門の中間に、延遼館(えんりょうかん)という洋風石造建築物が建っていました。
延遼館は、外国要人の迎賓館として使うために、1869年(明治2年)に落成したものです。
1879年(明治12年)7月から9月にかけては、アメリカの第18代大統領だったユリシーズ・グラント(在位:1869-1877)の一行が延遼館に滞在しています。
案内板の記述によると、1887年(明治20年)に発生した地震により損壊し、1889年(明治22年)に取り壊されたのだそうです。
現在は、延遼館の跡地には建物はありません。
8. 三百年の松
大手門付近には、奇妙な伸び方をした松が植えられています。
これは、6代将軍家宣(在位:1709-1712)が1709年(宝永6年)にこの庭園を大改修した際に植えた松で、「三百年の松」と呼ばれています。
案内板の付近で見えているのはこの松の枝であり、大元の幹は、その背後の石段の上にあります。
つまり、この松は、垂直方向には伸びす、水平方向に成長したわけです。
この「三百年の松」の庭園外後方には、朝日新聞社の社屋が見えます。
今回のブログは、ここまでです。
Anton Losenko『テティスとゼウス』
2012年1月16日(月)(その3)
目次
1. 懇願するテティス
2. 原題
今回取り上げる作品は、Anton Losenko作『テティスとゼウス upload.wikimedia.org』です。
1. 懇願するテティス
ロシアの画家Anton Losenko(1737-1773)が描いているのは、テティスがゼウスに対して、アガメムノンへの制裁を行うよう求めている場面です。
テティスは、息子アキレスに対するアガメムノンの横暴を、黙って見過ごすことなど出来ません。
テティスは、最高神ゼウスを味方につけることで、アキレスの鬱憤を晴らしてやろうと考えました。
ゼウスは、かつて美貌のテティスを自分の妻にしようと考えたことがありました。
しかし、結果的には、テティスはプティア王ペレウスと結婚しました。
ゼウスは美女テティスが跪(ひざまず)いて懇願している以上、テティスの願いを叶えてやりたいと考えています。
ゼウスがアガメムノンに対して制裁を加えるということは、一時的にせよ、ゼウスがギリシア軍の力を削(そ)ぎ、トロイ軍に有利になるよう取り計らうことを意味します。
2. 原題
Anton Losenkoが描いた『テティスとゼウス』は、英語では『Thetis and Zeus』と言います。
この作品は、国立ロシア美術館(The State Russian Museum)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. 懇願するテティス
2. 原題
今回取り上げる作品は、Anton Losenko作『テティスとゼウス upload.wikimedia.org』です。
1. 懇願するテティス
ロシアの画家Anton Losenko(1737-1773)が描いているのは、テティスがゼウスに対して、アガメムノンへの制裁を行うよう求めている場面です。
テティスは、息子アキレスに対するアガメムノンの横暴を、黙って見過ごすことなど出来ません。
テティスは、最高神ゼウスを味方につけることで、アキレスの鬱憤を晴らしてやろうと考えました。
ゼウスは、かつて美貌のテティスを自分の妻にしようと考えたことがありました。
しかし、結果的には、テティスはプティア王ペレウスと結婚しました。
ゼウスは美女テティスが跪(ひざまず)いて懇願している以上、テティスの願いを叶えてやりたいと考えています。
ゼウスがアガメムノンに対して制裁を加えるということは、一時的にせよ、ゼウスがギリシア軍の力を削(そ)ぎ、トロイ軍に有利になるよう取り計らうことを意味します。
2. 原題
Anton Losenkoが描いた『テティスとゼウス』は、英語では『Thetis and Zeus』と言います。
この作品は、国立ロシア美術館(The State Russian Museum)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
イタリア公園に行って来ました。
2012年1月16日(月)(その2)
2011年12月24日(土)に、東京都港区東新橋にあるイタリア公園に行って来ました(city.minato.tokyo.jp)。
私は海岸通りに面した入口から入園したのですが、入り口付近の地面に石碑が埋めこんであり、次のようにイタリア語で文字が刻まれていました。
Giardino all'italiana ispirato allo stile rinascimentale toscano
Giardino all'italianaは、イタリア式庭園と訳します。
all'italianaは、形容詞italianoの女性単数形italianaを使っていますが、これで、イタリア式の~、という意味になります。
stile rinascimentale toscanoは、トスカーナのルネサンス様式、という意味です。
stileは、服装などの型や様式を意味する男性名詞です。
この名詞に、rinascimentaleとtoscanoという2つの形容詞が係っているわけですね。
rinascimentaleは、ルネサンスを意味する名詞Rinascimentoから派生した形容詞で、ここでは男性単数形での用法です。
inspiratoは、inspirareから派生した形容詞で、giardinoに係る男性単数形です。
inspirare Zは、Z(情熱など)を吹き込む、という意味がありますので、全体的には、「トスカーナのルネサンス様式を取り入れたイタリア式庭園」となります。
石碑のそばには、日本語訳を載せた案内板などはありませんでした。
日本の中にある公園なのに、イタリア語の石碑しかないのは、やはり不親切ですよね。
管理している港区は、日本語訳や公園設立趣旨を載せた案内板を設置してもらいたいところです。
この公園は、「日本におけるイタリア2001年」(internet.watch.impress.co.jp)を記念し、イタリアから寄贈された公園です。
園内の周囲には、裸婦の白い像がいくつも建っていて、ミロのヴィーナスを模した像もあります。
像の説明書きには、ピエトラサンタ市の名前が刻まれています。
ピエトラサンタ市(Comune di Pietrasanta)は、イタリア中西部に位置するトスカーナ州にある街の名前です。
ピエトラサンタ市(comune.pietrasanta.lu.it)は、宇都宮市と文化友好都市として姉妹都市になっています。
リンクした宇都宮市のサイト(city.utsunomiya.tochigi.jp)には、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)が作ったダビデ像は、ピエトラサンタ市の大理石が使われている、と書いてありますね。
ピエトラサンタ市は、大理石資源が豊富な所です。
なるほど、それで、この公園内には、大理石で出来た裸婦像がたくさん建っているわけですね。
園内中央には、花畑が作られており、白い花弁をつけたバラを愛でることが出来ます。
園内の北端中央には、裸婦が水瓶を持ち、その水瓶から水が零れ落ちる仕掛けが作られていて、小さな池が設けられています。
池のそばには、イタリアンヴィーナスという官能的な像が建っています。
男は、女のこういう姿に弱いんですよね。
池のあたりから振り返って公園全体を見渡すと、見事な左右対称形の西洋庭園が作られています。
西洋人は、こういう左右対称形の庭園を好むんですよね。
本来、この庭園には陽の光が注がれるはずなんですが、南側にアクティ汐留(ur-net.go.jp)という高層のUR賃貸住宅が建っているため、陽の光が遮られてしまっています。
残念です。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月24日(土)に、東京都港区東新橋にあるイタリア公園に行って来ました(city.minato.tokyo.jp)。
私は海岸通りに面した入口から入園したのですが、入り口付近の地面に石碑が埋めこんであり、次のようにイタリア語で文字が刻まれていました。
Giardino all'italiana ispirato allo stile rinascimentale toscano
Giardino all'italianaは、イタリア式庭園と訳します。
all'italianaは、形容詞italianoの女性単数形italianaを使っていますが、これで、イタリア式の~、という意味になります。
stile rinascimentale toscanoは、トスカーナのルネサンス様式、という意味です。
stileは、服装などの型や様式を意味する男性名詞です。
この名詞に、rinascimentaleとtoscanoという2つの形容詞が係っているわけですね。
rinascimentaleは、ルネサンスを意味する名詞Rinascimentoから派生した形容詞で、ここでは男性単数形での用法です。
inspiratoは、inspirareから派生した形容詞で、giardinoに係る男性単数形です。
inspirare Zは、Z(情熱など)を吹き込む、という意味がありますので、全体的には、「トスカーナのルネサンス様式を取り入れたイタリア式庭園」となります。
石碑のそばには、日本語訳を載せた案内板などはありませんでした。
日本の中にある公園なのに、イタリア語の石碑しかないのは、やはり不親切ですよね。
管理している港区は、日本語訳や公園設立趣旨を載せた案内板を設置してもらいたいところです。
この公園は、「日本におけるイタリア2001年」(internet.watch.impress.co.jp)を記念し、イタリアから寄贈された公園です。
園内の周囲には、裸婦の白い像がいくつも建っていて、ミロのヴィーナスを模した像もあります。
像の説明書きには、ピエトラサンタ市の名前が刻まれています。
ピエトラサンタ市(Comune di Pietrasanta)は、イタリア中西部に位置するトスカーナ州にある街の名前です。
ピエトラサンタ市(comune.pietrasanta.lu.it)は、宇都宮市と文化友好都市として姉妹都市になっています。
リンクした宇都宮市のサイト(city.utsunomiya.tochigi.jp)には、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)が作ったダビデ像は、ピエトラサンタ市の大理石が使われている、と書いてありますね。
ピエトラサンタ市は、大理石資源が豊富な所です。
なるほど、それで、この公園内には、大理石で出来た裸婦像がたくさん建っているわけですね。
園内中央には、花畑が作られており、白い花弁をつけたバラを愛でることが出来ます。
園内の北端中央には、裸婦が水瓶を持ち、その水瓶から水が零れ落ちる仕掛けが作られていて、小さな池が設けられています。
池のそばには、イタリアンヴィーナスという官能的な像が建っています。
男は、女のこういう姿に弱いんですよね。
池のあたりから振り返って公園全体を見渡すと、見事な左右対称形の西洋庭園が作られています。
西洋人は、こういう左右対称形の庭園を好むんですよね。
本来、この庭園には陽の光が注がれるはずなんですが、南側にアクティ汐留(ur-net.go.jp)という高層のUR賃貸住宅が建っているため、陽の光が遮られてしまっています。
残念です。
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旧芝離宮恩賜庭園に行って来ました。
2012年1月16日(月)(その1)
2011年12月24日(土)に、東京都港区海岸にある旧芝離宮恩賜庭園に行って来ました(teien.tokyo-park.or.jp)。
リンクを張った交通案内(teien.tokyo-park.or.jp)に描いてあるように、庭園への出入り口は1箇所しかありません。
JR浜松町駅で降りる場合は、北口改札から出ると、庭園入口に近いです。
南口改札から出てしまうと、付近には庭園への出入り口がないため、庭園の外をぐるっと回って、入口まで辿り着くことになります。
さて、この地は、かつては海面でしたが、明暦時代(1655-1658)に徳川家が埋立地として整備した後、1678年(延宝6年)に老中・大久保忠朝(1632-1712)が4代将軍徳川家綱(在位:1651-1680)から拝領し、上屋敷としたのが始まりです。
忠朝(ただとも)は、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて敷地内に作庭し、楽壽園と名づけました。
幕末になると、ここは紀州徳川家の屋敷となりました。
明治時代に入り、1871年(明治4年)に有栖川宮家のものとなり、その後、宮内省の管轄となって、芝離宮と命名されました。
「旧芝離宮」とは、このことを踏まえているわけです。
1923年(大正12年)の関東大震災により、建物と樹木の大半は倒壊・焼失し、1924年(大正13年)に、宮内省から東京市に下賜され、現在に至ります。
従って、現在私たちが見ている庭園の風景は、1924年以降のものだということになります。
入場券を購入後、園内を右手に進むと、桜の花が満開になっていることに目を奪われます。
この桜は、十月桜という品種で、4月と10月に2度開花する桜です。
10月に開いた花が、12月24日の時点でも咲いていたということですね。
池の中央にある中島に連なる堤は、西湖(せいこ)の堤(teien.tokyo-park.or.jp)と呼ばれています。
西湖とは、中国の浙江省杭州市にある風光明媚な湖のことです。
北宋(960-1127)時代に、詩人・蘇東坡(そとうば)が西湖に長堤を築き、その堤を西湖の堤と呼んでいます。
この庭園の西湖の堤は、蘇東坡(1036-1101)の作った西湖の堤を模したものです。
枯滝の東には、4本の石柱が建っています。
これらの石柱は、相模の戦国武将・松田憲秀(生年不詳-1590)の旧邸にあった門柱でした。
そして、この地が小田原藩・大久保家の上屋敷だった頃にこの場所へ移され、茶室の柱に使われたのです。
現在では、茶室はなく、石柱だけが現存しているわけです。
この庭園は、かつて海とつながっていたのですが、現在でも、海水取入口跡が残っています。
水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られますが、現在は、東京湾との連絡が全くないため、池の水は淡水です。
園内には、弓道場があります(teien.tokyo-park.or.jp)。
NHK『美の壺』の 「大名庭園」の回で、案内役の草刈正雄がこの旧芝離宮恩賜庭園を訪問して、「ここは、僕の一番のお気に入りの庭なんですよ。」と言っていましたね(nhk.or.jp)。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月24日(土)に、東京都港区海岸にある旧芝離宮恩賜庭園に行って来ました(teien.tokyo-park.or.jp)。
リンクを張った交通案内(teien.tokyo-park.or.jp)に描いてあるように、庭園への出入り口は1箇所しかありません。
JR浜松町駅で降りる場合は、北口改札から出ると、庭園入口に近いです。
南口改札から出てしまうと、付近には庭園への出入り口がないため、庭園の外をぐるっと回って、入口まで辿り着くことになります。
さて、この地は、かつては海面でしたが、明暦時代(1655-1658)に徳川家が埋立地として整備した後、1678年(延宝6年)に老中・大久保忠朝(1632-1712)が4代将軍徳川家綱(在位:1651-1680)から拝領し、上屋敷としたのが始まりです。
忠朝(ただとも)は、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて敷地内に作庭し、楽壽園と名づけました。
幕末になると、ここは紀州徳川家の屋敷となりました。
明治時代に入り、1871年(明治4年)に有栖川宮家のものとなり、その後、宮内省の管轄となって、芝離宮と命名されました。
「旧芝離宮」とは、このことを踏まえているわけです。
1923年(大正12年)の関東大震災により、建物と樹木の大半は倒壊・焼失し、1924年(大正13年)に、宮内省から東京市に下賜され、現在に至ります。
従って、現在私たちが見ている庭園の風景は、1924年以降のものだということになります。
入場券を購入後、園内を右手に進むと、桜の花が満開になっていることに目を奪われます。
この桜は、十月桜という品種で、4月と10月に2度開花する桜です。
10月に開いた花が、12月24日の時点でも咲いていたということですね。
池の中央にある中島に連なる堤は、西湖(せいこ)の堤(teien.tokyo-park.or.jp)と呼ばれています。
西湖とは、中国の浙江省杭州市にある風光明媚な湖のことです。
北宋(960-1127)時代に、詩人・蘇東坡(そとうば)が西湖に長堤を築き、その堤を西湖の堤と呼んでいます。
この庭園の西湖の堤は、蘇東坡(1036-1101)の作った西湖の堤を模したものです。
枯滝の東には、4本の石柱が建っています。
これらの石柱は、相模の戦国武将・松田憲秀(生年不詳-1590)の旧邸にあった門柱でした。
そして、この地が小田原藩・大久保家の上屋敷だった頃にこの場所へ移され、茶室の柱に使われたのです。
現在では、茶室はなく、石柱だけが現存しているわけです。
この庭園は、かつて海とつながっていたのですが、現在でも、海水取入口跡が残っています。
水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られますが、現在は、東京湾との連絡が全くないため、池の水は淡水です。
園内には、弓道場があります(teien.tokyo-park.or.jp)。
NHK『美の壺』の 「大名庭園」の回で、案内役の草刈正雄がこの旧芝離宮恩賜庭園を訪問して、「ここは、僕の一番のお気に入りの庭なんですよ。」と言っていましたね(nhk.or.jp)。
今回のブログは、ここまでです。
ドミニク・アングル『ゼウスとテティス』
2012年1月15日(日)(その3)
目次
1. アキレスの造反
2. ゼウスに縋るテティス
3. 原題
今回取り上げる作品は、ドミニク・アングル作『ゼウスとテティス upload.wikimedia.org』です。
1. アキレスの造反
アキレスの愛人ブリセイスはアキレスの元を離れ、アガメムノンの陣中へと連れて行かれました。
アキレスは、アガメムノンの横暴に愛想を尽かしました。
そして、戦争中であるにも関わらず戦場に出ることを拒否することにしました。
愛人ブリセイスをアガメムノンに横取りされたアキレスは、腹の虫がおさまりません。
アキレスは、アガメムノンに対する敵意を露にし、斬りかかろうとしたところ、アテナによってその動きを制止されてしまいました。
そこで、やむを得ず、母のテティスにアガメムノンへの制裁を依頼します。
アキレスにとっては、どんな形であれ、アガメムノンが苦境に陥れば良いのです。
息子アキレスから頼まれたテティスは、最高神ゼウスに相談します。
アキレスに助勢し、アガメムノンを懲らしめてやって欲しいという趣旨です。
2. ゼウスに縋るテティス
フランスの画家ドミニク・アングル(1780-1867)が描いているのは、テティスがゼウスに縋(すが)ってアキレスへの肩入れを願っている場面です。
中央向かって左側で、左手をゼウスの口元へ伸ばしているのがテティスです。
豊満な乳房をゼウスの右の太股に押し付け、美女の色香を利用してゼウスに決断を迫っています。
ゼウスは平静を装ってはいますが、ペニスは固く勃起しています。
元々、ゼウスはテティスの美貌に惚れ込んでいて、自分の妻とするべく、考慮した時期がありました。
ゼウスとテティスとの間には、結果的には性的関係はありませんでしたが、ゼウスがテティスに対して好意を持っていることは周知の事実です。
この場合の「好意」とは、性的対象としてテティスを見ているという意味です。
そのテティスが、事情は何であれ、自分に対して縋り、懇願しているわけです。
表向き、威厳を保っていても、ゼウスのペニスは制御できない状態になっています。
男とは、そういう生き物です。
昔も今も、何にも変わりません。
向かって左端に描かれているのは、ヘラです。
夫ゼウスがまた浮気しようとしているのではないかと、疑いの眼差しを向けているところです。
3. 原題
ドミニク・アングル(Dominique Ingres)が描いた『ゼウスとテティス』は、フランス語では『Jupiter et Thétis』と言います。
この作品は、フランス南部の街エクス=アン=プロヴァンス(Aix-en-Provence)にあるグラネ美術館(Le musée Granet museegranet-aixenprovence.fr)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
目次
1. アキレスの造反
2. ゼウスに縋るテティス
3. 原題
今回取り上げる作品は、ドミニク・アングル作『ゼウスとテティス upload.wikimedia.org』です。
1. アキレスの造反
アキレスの愛人ブリセイスはアキレスの元を離れ、アガメムノンの陣中へと連れて行かれました。
アキレスは、アガメムノンの横暴に愛想を尽かしました。
そして、戦争中であるにも関わらず戦場に出ることを拒否することにしました。
愛人ブリセイスをアガメムノンに横取りされたアキレスは、腹の虫がおさまりません。
アキレスは、アガメムノンに対する敵意を露にし、斬りかかろうとしたところ、アテナによってその動きを制止されてしまいました。
そこで、やむを得ず、母のテティスにアガメムノンへの制裁を依頼します。
アキレスにとっては、どんな形であれ、アガメムノンが苦境に陥れば良いのです。
息子アキレスから頼まれたテティスは、最高神ゼウスに相談します。
アキレスに助勢し、アガメムノンを懲らしめてやって欲しいという趣旨です。
2. ゼウスに縋るテティス
フランスの画家ドミニク・アングル(1780-1867)が描いているのは、テティスがゼウスに縋(すが)ってアキレスへの肩入れを願っている場面です。
中央向かって左側で、左手をゼウスの口元へ伸ばしているのがテティスです。
豊満な乳房をゼウスの右の太股に押し付け、美女の色香を利用してゼウスに決断を迫っています。
ゼウスは平静を装ってはいますが、ペニスは固く勃起しています。
元々、ゼウスはテティスの美貌に惚れ込んでいて、自分の妻とするべく、考慮した時期がありました。
ゼウスとテティスとの間には、結果的には性的関係はありませんでしたが、ゼウスがテティスに対して好意を持っていることは周知の事実です。
この場合の「好意」とは、性的対象としてテティスを見ているという意味です。
そのテティスが、事情は何であれ、自分に対して縋り、懇願しているわけです。
表向き、威厳を保っていても、ゼウスのペニスは制御できない状態になっています。
男とは、そういう生き物です。
昔も今も、何にも変わりません。
向かって左端に描かれているのは、ヘラです。
夫ゼウスがまた浮気しようとしているのではないかと、疑いの眼差しを向けているところです。
3. 原題
ドミニク・アングル(Dominique Ingres)が描いた『ゼウスとテティス』は、フランス語では『Jupiter et Thétis』と言います。
この作品は、フランス南部の街エクス=アン=プロヴァンス(Aix-en-Provence)にあるグラネ美術館(Le musée Granet museegranet-aixenprovence.fr)で見ることが出来ます。
今回のブログは、ここまでです。
和敬塾本館(旧細川護立侯爵邸)に行って来ました。
2012年1月15日(日)(その2)
2011年12月22日(木)に、東京都文京区目白台にある和敬塾本館(旧細川護立侯爵邸)に行って来ました(wakei.org)。
かつては、この地及び隣接する新江戸川公園(city.bunkyo.lg.jp)の敷地には、細川家の下屋敷がありました。
私が新江戸川公園を訪れた時のことは、2011年11月29日(火)(その1)のブログにおいて述べました(lorodesu.exblog.jp)。
私が今回訪れた和敬塾本館は、元々は、細川護立(もりたつ)侯爵が1936年(昭和11年)に建てた邸宅でした。
細川護立(1883-1970)は、肥後熊本旧藩主・細川家第16代当主です。
元首相の細川護煕(もりひろ)は、護立の孫に当たり、第18代当主となります。
系譜を示します。
細川護立ー護貞ー護煕
肥後細川氏の祖は、細川藤孝(1534-1610)で、細川幽斎とも呼ばれています。
細川藤孝の息子が忠興(1563-1646)で、第2代当主です。
忠興の正室は、細川ガラシャ(1563-1600)です。
さて、和敬塾本館は原則非公開で、月に一、二回程度の一般公開を行なっていますが、参観希望者は往復葉書で申し込む必要があります(wakei.org)。
私は11月22日に往復葉書を投函し、24日の消印で返信葉書を受け取りました。
一般公開当日、和敬塾敷地内の指定された受付場所に行ってみると、30名ぐらいの参加者が集まっていました。
参加費の1,050円を支払い、ガイド役の男性に従って本館に入りました。
ガイドによると、この旧細川護立邸は、大東亜戦争後、連合国の中のオランダが接収して使用していました。
1955年(昭和30年)に、事業家・前川喜作(1895-1986)が敷地と建物を全て買い取り、和敬塾を設立します。
和敬塾とは、男子学生寮のことです。
前川喜作は、前川製作所の創業者です(mayekawa.co.jp)。
屋敷は、地上3階、地下1階の構造ですが、私たちが見学できるのは、地上の1階と2階の部分だけです。
2階では、細川護立夫妻が寝室として使っていた部屋が公開されていますが、現在、その面影はありません。
2階の和室の床の間には、掛け軸が掛かっていましたが、その掛け軸には「和敬塾」という文字が入っていましたので、細川家時代のものではありません。
欄間は、簾のような意匠でした。
細川護立の時代には、1階は、主に接客用の場所として使われていました。
1時間ほどの館内案内が終わった後、参加者には和敬塾からコーヒーとケーキが振舞われました。
参加費の1,050円には、この飲食代金も含まれているわけです。
サイトや返信葉書には、そのような趣旨は記載されてはいません。
私は、次の所用があったため、飲食は辞退して、和敬塾を後にしました。
なお、現在建っている旧細川護立邸の周りには、庭園はありません。
この地にあった細川家の大名庭園は、新江戸川公園という形で残されています。
今回のブログは、ここまでです。
2011年12月22日(木)に、東京都文京区目白台にある和敬塾本館(旧細川護立侯爵邸)に行って来ました(wakei.org)。
かつては、この地及び隣接する新江戸川公園(city.bunkyo.lg.jp)の敷地には、細川家の下屋敷がありました。
私が新江戸川公園を訪れた時のことは、2011年11月29日(火)(その1)のブログにおいて述べました(lorodesu.exblog.jp)。
私が今回訪れた和敬塾本館は、元々は、細川護立(もりたつ)侯爵が1936年(昭和11年)に建てた邸宅でした。
細川護立(1883-1970)は、肥後熊本旧藩主・細川家第16代当主です。
元首相の細川護煕(もりひろ)は、護立の孫に当たり、第18代当主となります。
系譜を示します。
細川護立ー護貞ー護煕
肥後細川氏の祖は、細川藤孝(1534-1610)で、細川幽斎とも呼ばれています。
細川藤孝の息子が忠興(1563-1646)で、第2代当主です。
忠興の正室は、細川ガラシャ(1563-1600)です。
さて、和敬塾本館は原則非公開で、月に一、二回程度の一般公開を行なっていますが、参観希望者は往復葉書で申し込む必要があります(wakei.org)。
私は11月22日に往復葉書を投函し、24日の消印で返信葉書を受け取りました。
一般公開当日、和敬塾敷地内の指定された受付場所に行ってみると、30名ぐらいの参加者が集まっていました。
参加費の1,050円を支払い、ガイド役の男性に従って本館に入りました。
ガイドによると、この旧細川護立邸は、大東亜戦争後、連合国の中のオランダが接収して使用していました。
1955年(昭和30年)に、事業家・前川喜作(1895-1986)が敷地と建物を全て買い取り、和敬塾を設立します。
和敬塾とは、男子学生寮のことです。
前川喜作は、前川製作所の創業者です(mayekawa.co.jp)。
屋敷は、地上3階、地下1階の構造ですが、私たちが見学できるのは、地上の1階と2階の部分だけです。
2階では、細川護立夫妻が寝室として使っていた部屋が公開されていますが、現在、その面影はありません。
2階の和室の床の間には、掛け軸が掛かっていましたが、その掛け軸には「和敬塾」という文字が入っていましたので、細川家時代のものではありません。
欄間は、簾のような意匠でした。
細川護立の時代には、1階は、主に接客用の場所として使われていました。
1時間ほどの館内案内が終わった後、参加者には和敬塾からコーヒーとケーキが振舞われました。
参加費の1,050円には、この飲食代金も含まれているわけです。
サイトや返信葉書には、そのような趣旨は記載されてはいません。
私は、次の所用があったため、飲食は辞退して、和敬塾を後にしました。
なお、現在建っている旧細川護立邸の周りには、庭園はありません。
この地にあった細川家の大名庭園は、新江戸川公園という形で残されています。
今回のブログは、ここまでです。
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